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ここに機構軍の設置を宣言する。但しこれは、攻撃するものではなく核兵器から全世界を守るために設置されるものである。 藍業戦争参加国家に対して第一種警戒態勢を発令。ただし今回の戦争には我が機構は関与しません。(機構加盟国家の参加は自由です。) 核兵器断絶機構(NWBM)とは 名前のままの機構です。核兵器を断絶しよう、という機構です。また、参加国家が核兵器を使用したと確認できれば速攻でこの機構から退会させていただき、二度とこの機構に入る事を禁じます。 作られた経緯 氷山帝國総統が「核兵器断絶機構(BWBM)の参加国家を募集します。経緯しては大西亜戦争の核兵器使用に付き、誠に失望した、と感じたためです。いくら戦争に勝ちたいからといって程度をわきまえていないと感じました。現実世界でも、近くの北朝鮮が核兵器開発を行っているとか聞いたりします。それで大変なのに、私たちが核兵器を使用していいのだろうか、と考えたのです。皆さんも良く考えて見て下さい。」と氷山日報で発表。それに対しミノリニア公国等々の国家が賛同し、現在に至る。 我が機構が核兵器とするもの 核爆弾・水素爆弾・中性子爆弾。及びそれらの兵器の原理を使用した航空爆弾や、弾道ミサイルの弾頭に使用・製造することなども禁止し、核兵器の原理を使用している兵器全て(砲弾・地雷等)の使用・製造を禁止します。放射線を使用した兵器の使用・製造も禁止します。 また、例外として原子力潜水艦・航空母艦は除外します。 核兵器概要についての質問 我が国では核兵器を持つか持たないかなやんでいるのですが、核爆弾の設計図を持つことも核兵器の保有にはいりますか? -- yama (2014-10-05 12 56 24) 兵器 ではないので大丈夫かと思われます。一応参加国家内で話し合います。 -- Hisame (2014-10-05 15 56 22) クリーパーやガストは核兵器にはいるんですか? -- 名無しさん (2015-11-10 00 18 08) 名前 コメント 加盟条件 核兵器断絶に対し、強い意思がある国家、企業。 加盟して以降の核兵器及び核特攻兵器の使用・生産をしない国家、企業。 核兵器に対して強い反感を持つ国家、企業。 加盟申請用コメント 過去コメント +... 我が国は核を使用しないため、本機構に加盟します。 -- brackhornet (2014-05-26 23 09 27) 了解しました。 -- Hisame (2014-05-27 15 38 59) わが国も核のために死んだ何万人の人たちのも失礼だと思うので加盟申請します -- カーペンター民主主義共和国@BISIHOP1059 (2014-05-27 17 03 54) 琉球国は核の不使用を宣言し、核兵器断絶機構への加盟申請をします。 -- 琉球国 (2014-05-27 17 43 02) 我が国は核兵器は絶対に使用しません。よって加盟申請をします。 -- のじのじ国 (2014-05-27 18 45 46) お二方とも、了解しました。 -- Hisame (2014-05-27 19 08 04) わが連邦は核なんてものは使いたくないし使う気もない -- 南極小規模大国第二ソビエト社会主義共和国連邦 (2014-05-28 15 34 18) なので加盟申請をします -- 南極小規模大国第二ソビエト社会主義共和国連邦 (2014-05-28 15 34 56) 私も核を使いたくありません。是非加盟させてください。 -- mokuzai (2014-05-28 16 23 01) 核の製造能力について対策されるのですか?されるのであればどのような対策法ですか? -- Soda (2014-05-28 21 57 38) 例えば核爆弾を作れるようになるmod等も最終的には廃絶するという方向で活動するのでしょうか -- Soda (2014-05-28 21 59 42) 上のお二方、了解しました。Soda様、申し訳ありません。参加国が一定以上参加されましたら会議を開こうと思っております。詳しくは会議が終わり次第連絡します。 -- Hisame (2014-05-28 22 09 19) 南極小規模大国第二ソビエト社会主義共和国連邦さんページにモロ核攻撃って書いてるじゃないですかーやだー -- 憂稀 (2014-05-29 23 19 59) え?どこにですかね? -- Hisame (2014-05-30 06 39 25) 侵略予定図にばっちりと -- 憂稀 (2014-05-30 06 41 08) あ、本当ですね…。一回目の警告に対応しない場合強制退会させていただきます -- Hisame (2014-05-30 17 53 52) 防衛軍なのに核兵器使ってどうするw本土吹っ飛ぶぞw 加入させてください -- 雛島防衛軍 (2014-05-30 22 35 33) 計画票だけが2014/05/06ぐらいのままでした新しく書き直したいですがマザーボードの不調でネットが大変だったため素早い応答はできませんでした) -- 南極小規模大国第二ソビエト共和国連邦 (2014-05-30 23 59 47) 雛島防衛軍様、了解いたしました。南極小規模大国第二ソビエト共和国連邦様、了解いたしました。 -- Hisame (2014-05-31 02 54 38) ガルマニア第六帝国も核は使いたくないな -- ミュラー (2014-05-31 12 57 18) 核は使うべきものではないし兵器にするものなんかではない!と思うので参加申請致します -- カーペンター民主主義共和国@BISIHOP1059 (2014-05-31 13 11 27) 上のお二方、了解しました。 -- Hisame (2014-05-31 17 33 18) 核以外の大量破壊兵器は所持しますが国内世論の沸騰として非核化を進めます -- 藪椿連邦 (2014-06-05 20 45 56) 核以外の大量破壊兵器というのが個人では気になりますが、了解しました…。 -- Hisame (2014-06-05 21 01 49) 通常の破壊兵器で言えばMOABやFAEB等ですかね -- 藪椿連邦 (2014-06-05 21 04 44) 我が国も少量破壊兵器(生物兵器など)はやむなく使用することはありますが、大量破壊兵器や核などは一切製造しておりません。(非核4原則??もあります。)ので参加申請をいたします。 -- ロンディバルト共和国 (2014-06-14 19 07 18) 了解しました。 -- Hisame (2014-06-15 07 00 18) よろしくお願いいたします。 -- ロンディバルト共和国 (2014-06-15 18 32 29) 仕事の多さに対応しきれないため撤退します...... -- 南極小規模大国第二ソビエト社会主義共和国連邦 (2014-06-22 11 40 02) 了解です。同盟から抜ける、ということでよろしいですよね? -- Hisame (2014-06-22 12 15 49) はいそれでおkです -- 南極小規模大国第二ソビエト (2014-06-22 16 46 12) 了解しました。ではまた。 -- Hisame (2014-06-22 16 51 19) クラフティア独立国家連邦の者です。我が国は核兵器を含むNBCR兵器全般の使用を禁止し、貴機構への加盟を申請します -- 塩犬 (2014-06-22 20 28 38) 了解いたしました -- Hisame (2014-06-22 20 55 27) 蝦夷共和国のものです。前政権では核の輸送や核兵器の保有などがありましたが、現在は核兵器は破棄し核の理念すら捨てている...そういった対応をしています。なので加盟を申請します。 -- ねころじぃ (2014-06-22 21 02 11) 了解しました。ふふ、加盟国は順調に増えているな… -- Hisame (2014-06-22 21 30 02) 核兵器なんて使われたら小さな国は滅びますね。そういった類の物は許されないと思います。我が国も加盟を申請します。 -- イビルI (2014-08-08 06 32 28) 国名はII共和国です -- イビルI (2014-08-08 06 33 02) 了解しました。ようこそ、核兵器断絶機構へ。貴国の加盟を歓迎します。 -- Hisame (2014-08-08 06 38 45) 我がネルシカ公国も核を失くしたいという理念がありますので参加申請をしたいと思います -- 九州民 (2014-08-10 01 42 30) 了解しました、ネルシカ公国様、ようこそ核兵器断絶機構へ。 -- Hisame (2014-08-10 10 39 00) 核兵器を使用すると国が滅びる可能性があるため、たとえ戦争だとしても使うことは許されない。ファイアーストーム国加盟申請します。 -- かのん (2014-08-29 19 50 15) 同志かのんよ。ようこそ、核兵器断絶機構へ。 -- Hisame (2014-08-29 20 02 05) 核の廃止を目指したいのでエリシア共和国も加盟したいです。 -- haru56 (2015-01-07 23 19 45) 我がサンタマリア公国もぜひ参加したいです。xbox国家ですがよろしくお願いします。 -- garizamurai (2015-02-06 07 28 28) 今独立しようとしている国ですがいいですか? -- 神みゆ (2015-03-24 20 06 13) 核兵器許せません -- 神みゆ (2015-03-24 20 06 41) 僕がまだメンバー登録していない時に、江猫戦争があったのですが、エルドル共和国が核兵器を使用した事を受け、"メンバー登録したら、核兵器根絶機構に入ろう"と思い、ついに国を建国したので、入りたいです。ソルト王国です。 -- 桜インターネット (2015-10-25 21 10 48) 我が国は核兵器をいともたやすく使う国家に対して、つよい反感をもっています。核兵器断絶機構に加盟させてください。 -- ちく (2015-11-06 23 07 44) 名前 コメント 何かありましたらこちらへ 原子力潜水艦は断絶するんですか? -- 名無しさん (2014-08-10 15 26 51) 核爆弾・水素爆弾・中性子爆弾。また航空爆弾も含み、弾道ミサイルの弾頭に使用することなども禁止します。 潜水艦って入ってなくね? -- 名無しさん (2014-08-10 15 29 43) そうなったら我が国ってこの機構の規則に違反してるw -- ねころじぃ (2014-08-10 15 31 58) 核「砲弾」も放射能兵器もいいんだってさ! -- rokusyou (2014-08-10 15 41 00) っ核「地雷」 -- 名無しさん (2014-08-10 16 25 04) ねころじぃさん。今度我が機構と会談しましょう(真顔) -- みのる (2014-08-10 18 04 19) 核兵器並みの被害をもたらす核兵器とほぼ同じ構造の爆弾←これもOKじゃね?w -- 名無しさん (2014-08-10 18 13 28) はあ。ちょっと待ってください。一つ一つ返信します。 一番上→爆弾等のみですので潜水艦や空母に使用することは良しとします。 ↑×4 3→うん、ダメです。表記忘れです。いい加減わかって下さい。もう、核の原理を使用した兵器全てを禁止すると書きます。すみません。 ↑→例えばなんですか?具体的に何かということを示してから、どうぞ。 -- Hisame (2014-08-10 20 31 07) エヴァのN2地雷とかそういう感じのものでは? -- ロンディバルト共和国 (2014-08-10 22 52 30) エヴァ知らないw -- Hisame (2014-08-10 22 55 27) 地方町が一つ吹っ飛ぶぐらいの威力です -- ロンディバルト共和国 (2014-08-10 23 07 25) 誠に失礼ながら、我がリーベル合衆国は本機構を脱退させていただきます。 -- brackhornet (2014-08-10 23 22 17) 本当に申し訳ないのですが、II共和国もこの機構から脱退したいと思います。短い間でしたがありがとうございました。 -- イビルI (2014-08-11 05 02 13) 我が国の潜水艦増やしますね。 -- のじのじ国 (2014-08-29 18 44 20) 知らない間にきこうぐんが -- みのる (2014-08-31 21 14 40) 潜水艦と護衛艦増やします -- かのん (2014-09-04 18 12 52) コンピューター上での核実験はどうなるんですか? -- 名無し (2014-09-05 22 56 45) 実際に使用しないわけだかっら別にいいんじゃないんですか。実際自分も各所ルターの耐久性調べるために使ってますし。 -- ロンディバルト共和国 (2014-09-05 23 51 27) 機構国緊急事態。宣戦布告可能性大ヤバい -- みのる (2014-09-14 21 53 12) 改名したので変えときますね -- かのん (2014-10-05 13 31 16) 大HEIWA条約機構と手を組んで匠共産大帝国と戦いますか?あの国はこの機構を反対しているようですし -- zazave (2015-01-05 13 36 46) いえ、あくまでも核を規制するのは加盟国ですし、攻撃されない限りはないと思いますよ。 -- ねころじぃぃぃ (2015-01-05 13 40 23) 一応匠共産大帝国に忠告出しておきます -- zazave (2015-01-05 18 11 04) 我が国もぜひ参加したいです。サンタマリア公国というxbox国家です。 -- garizamurai (2015-02-05 20 16 30) べルカ式国防術で7つの戦術核を自国内で爆発させて侵攻する気を削ぐドクトリンを近々採用することになりました、つきましてはこの機構から脱退させていただきます -- ミュラー (2015-08-10 22 08 34) 活動してないんなら消そうよー -- みのる (2016-03-31 16 50 58) 名前 コメント 加盟国(敬称略) 国名 元首 氷山大日本帝國連邦 Hisame 琉球国 のじのじ国 のじのじ ドネツク連邦国 mokuzai 中南北雛島連邦 zazave0221 ガルマニア第六帝国 ミュラー カーペンター民主主義共和国 BISIHOP1059 藪椿 ロンディバルト共和国 hromi 蝦夷・奥羽共和国連邦 ねころじぃ ネルシカ公国 九州民 以下、加盟国用のページとなっております。 Hisameからのお知らせ はい、Skypeが不調なので、前のアレは辞めます。はい。 ということで、今回の提案は、核兵器を所持している国家に対して、攻撃するかどうかです。 ↓にコメント欄を作りましたので、そこでご意見をお願いします。 核兵器の所持国家を攻撃する? 多少整理させていただきます。 核兵器所持のみで攻撃は過激すぎる(経済的制裁は加える)。 核兵器を実際に使用したら攻撃(無差別使用や戦闘がない国家へ核兵器を使用)。 機構軍の設置はSkype上の会議にて(加盟国はhisame_mtへコンタクトを取って下さい。) +... 我が国の軍は防衛軍なので、できません -- zazave0221 (2014-07-10 08 49 02) 単純に核兵器を所持しているというだけでその国を攻撃するのは少し過激すぎるかと思います。 -- 塩犬 (2014-07-10 12 09 17) 上に同意。ただし注意勧告とか経済的制裁はいると思う -- みのる (2014-07-10 17 12 37) ↑みのる氏に同意 -- ねころじぃ (2014-07-10 18 44 01) 核を都市や攻撃していない軍の基地などに落とした場合、攻撃するのはどうでしょうか?あとみのるさんの意見にも賛成です。 -- ロンディバルト共和国 (2014-07-10 19 12 46) 無差別核使用したらーの時のことは少し考えんとなあ -- みのる (2014-07-10 19 50 42) 皆々様、多数の意見を有難うございます。纏めると→核兵器を所持している国家に対して、攻撃はせずとも注意や経済的制裁は必要、無差別核兵器使用が確認できたら攻撃も考える、でしょうか?また、他の方々の意見も待ってます。 -- Hisame (2014-07-10 20 12 36) 例え核兵器であっても軍事なので、minecraft軍事部を名乗る以上それを注意したりする権利は無いと思います。 -- 塩犬 (2014-07-10 21 19 28) なので、核兵器を「使用」した場合に独自制裁をするのみに留めるべきだと考えます。 -- 塩犬 (2014-07-10 21 20 27) 何か否定的な意見ばかりですみません。 -- 塩犬 (2014-07-10 21 22 23) いえいえ。私はそれがいいと思います -- みのる (2014-07-10 22 08 06) 確かにあくまで軍事部としてやっているから、核撃ったからと言って「核撃った奴は仲間はずれにしよう」というのもひどい気がしますよね。率直な言い方ですが遊びでやっているわけですし。 -- ロンディバルト共和国 (2014-07-10 22 30 05) 遊びということを忘れず本気で遊ぶ。これ大事。区別はつけなきゃね -- みのる (2014-07-10 22 35 27) fmfm、皆さん貴重な意見を有難うございます。では、機構軍の設置は無しで、機構国家群からの独自制裁を出す、ということで、よろしいですか? -- Hisame (2014-07-12 15 39 16) 核兵器断絶機構に入るということは、核の傘から抜けるということになります -- 塩犬 (2014-07-12 17 31 07) なので、機構で弾道ミサイル防衛協定を結び、有事の際は核ミサイルを防衛する戦力を作っては如何でしょうか? -- 塩犬 (2014-07-12 17 32 02) そうですね、核兵器断絶機構に入るとともに核弾道ミサイル撃墜を許可しましょうか? -- Hisame (2014-07-21 21 28 42) スエズでの戦争にたいして、核兵器使用をしないよう警告しときましょうか?あと独自法律的なのを作っておいて、どのような場合に適用してどう対処したらいいかも決めましょう -- みのる (2014-07-22 17 42 35) そうですね -- HIsame (2014-07-22 19 34 37) 核兵器の「使用」国がありました。 -- イビルI (2014-08-09 12 06 40) それってどこです? -- 名無しさん (2014-08-09 12 52 30) MKT共和国です -- イビルI (2014-08-09 12 57 18) 核兵器所持国家を攻撃するのではなく、使った国を攻撃するっていうのは? -- mokuzai (2014-08-09 13 17 13) 攻撃できる国で総攻撃すると? -- イビルI (2014-08-09 13 23 28) それか同盟破棄、仮想敵国に設定、経済制裁とかかな。 -- イビルI (2014-08-09 13 24 44) 制裁はそれ位しか思いつかない… -- イビルI (2014-08-09 13 26 49) 経済制裁などをしても続ける場合は武力行使による核兵器断絶とかですかね -- mokuzai (2014-08-09 13 28 31) その場合核兵器断絶を要求する戦争かな -- イビルI (2014-08-09 13 31 17) そうですね -- mokuzai (2014-08-09 13 36 45) MKT共和国のページでも書いたように《出来れば》話し合いで解決したいと思っています。 -- MKT大統領 (2014-08-09 16 15 42) 自分の国を守るなら、なんでもする。←間違っているでしょうか? -- MKT大統領 (2014-08-09 16 17 26) いちよう核は生産停止しています。 -- MKT大統領 (2014-08-09 16 22 08) 今回の件で事前通告もなしに核を発射したこと。そして周辺諸国の国々などに混乱を招いたこと。それを謝罪するのであれば、おそらくすべて解決するでしょう -- mokuzai (2014-08-09 16 24 07) イビルⅠさん。そうかんたんに戦争とかいわないでください。過去ログ見たらだいたいわかると思うんですが、この機構全体としての考え方としては「武力行使はあくまでも考えない」ことになっています。それにまだ会議場も出来てませんし、まだ機能していないので全員で話し合ってから決めましょう -- みのる (2014-08-09 16 35 16) 事前通告がない攻撃を受けて、謝罪する国などあるとおもいますか? -- MKT大統領 (2014-08-09 16 39 14) ですが、周辺諸国の国々には通告しておくべきでした。そこは謝罪しておきます。 -- MKT大統領 (2014-08-09 16 39 57) MKTサンも早とちりです。我々は取り敢えず今は機構軍は作らないことになっています。よって我々は攻撃を仕掛けることは今はありません。とにかく皆さん焦り過ぎです。会議を始める前に結果を探している状態ですので、焦らずに行きましょう。(連投すません) -- みのる (2014-08-09 16 40 45) 事前通告がない攻撃を受けて、謝罪する国などあるとおもいますか? 攻撃をうけたんですか?誰に?いつ? -- mokuzai (2014-08-09 16 41 28) 投稿被りましたね。木材さん。一旦ストップ。取り敢えず氷雨氏に連絡つけます -- みのる (2014-08-09 16 42 59) 了解です。独自制裁の内容をよく理解していませんでしたね。 -- イビルI (2014-08-09 16 58 59) うん、過激派の方は自国で戦争どうぞ。機構軍は作らないと明記していなかった私の責任でもあります。誠に申し訳ありません。 -- Hisame (2014-08-09 18 00 06) しかし、私の意見としては核兵器断絶機構の最終目的、世界からの核兵器排除ですから我が機構も軍を持ち、核兵器所持・生産国家群の圧迫を図りたいです。また、万が一機構加盟国に何かあったときのために、集団的自衛権の行使を可能とすることも考えています。 -- Hisame (2014-08-09 18 07 25) (MKT共和国の件)まあ、まずは加盟国全てで遺憾の意の表明を行いましょう -- Bisihop1059 (2014-08-09 19 42 55) ↑うちまちがいがありました、正しくは (MKT 共和国の件)まあ、まずは加盟国全てで遺憾の意を表明しませんか? -- Bisihop1059 (2014-08-09 19 47 00) の最終目的、世界からの核兵器排除ですから 質問 核持ってる国に核使わないとか、勝つのは絶望的ですよ、 -- MKT大統領 (2014-08-09 21 00 56) まあ私も」核は最終手段だとは思っていていまして、そこらへんもちゃんと考えているのですが。やはり核は使ってはいけないのでしょうか? -- MKT大統領 (2014-08-09 21 05 21) 現実世界でも、核を使った国を総攻撃するとかちょっとおかしいですよ。核兵器所持・生産国家群の圧迫する権利なんてないんじゃないですか?またそれを決めつけることも、 -- MKT大統領 (2014-08-09 21 11 26) 一切問題ありません。過去にレギュレーションでも記載しましたが、「何人足りとも兵器開発の自由を制限し、奪うことは出来ない」為、貴機構の「核兵器断絶を要求する戦争」や、加盟国に対する、対象国への「同盟破棄」の強制は、禁止されています。 -- 管理人 (2014-08-09 21 13 36) 核兵器排除を目指していることは十分わかりましたが、《対処の仕方》というものをはっきりと提示することをお勧めしようと思います。また 機構軍 についてですが独自制裁のみにすることを強く願います。(長文連呼申し訳ない) -- MKT大統領 (2014-08-09 21 17 25) 管理人さんまで動いてくださってありがとうございます。 -- MKT大統領 (2014-08-09 21 18 22) MKTさん。別に管理人はあなたの為に動いているわけではありませんよ?それと運営さん、この機構はこのwikiの基本となるルールが完成する前に作られた機構なので、ルールが完成した時点で我が機構も運営さんも早期に対処しなかったのも問題だと思います。 -- みのる (2014-08-09 22 17 52) あとMKTさん。我が機構は 核兵器所持・生産国家群を圧迫する目的ではなく、遺憾を表明して話し合いの上、経済制裁する(と思っているのは自分だけかもしれませんが)機構ですので、核兵器を持っている国を見つけたらすぐに制裁はしません。よって最初から圧迫はしていないので、権利も生じていません -- みのる (2014-08-09 22 22 51) 私はこの機関が、IAEAのような機関だと思っていたので、特に発言していませんでした。又、この機構の設立を大西亜戦争成立と捕らえても、2014/04/26 (土) 17 15 16のルールの制定より、設立は後です。 -- 管理人 (2014-08-09 22 38 45) 又、極力早く”核兵器”と判断されるものの定義や、国家に対する対応を発表して頂きたく存知ます。「設立後一ケ月を過ぎても存在意義が確立されていない」に抵触していますので。 -- 管理人 (2014-08-09 22 49 34) あと、BWBMとは何の略語ですか? -- rokusyou (2014-08-09 22 50 03) あれれ?すいません。設立日時勘違いでした。混乱させてしまって申し訳ありません。核兵器の定義は既に記載されてますよ? -- みのる (2014-08-10 09 08 47) 「核爆弾・水素爆弾・中性子爆弾」と記載されていますが、水爆も核爆弾の一種であり、中性子爆弾は水素爆弾の一種です。 又、「核爆弾」という表記だと、広義の「爆弾(容器に爆薬を装填して信管などの発火装置を取り付けた兵器)」なのか、狭義の「爆弾」(航空爆弾)なのか、全く判りません。その為、貴機構の核兵器の明確な区分を記載していただきたい -- 管理人 (2014-08-10 09 44 17) 広い意味での核兵器です。勿論、航空爆弾も含みますし、発射する弾道ミサイル等も含みます。全世界からの核兵器断絶というのは、核兵器全般を指すことからそれくらいは分かるだろうとこの表記をしていましたが、わからない方がおられたようなので明記しておきます。申し訳ありませんでした。 -- Hisame (2014-08-10 10 33 40) また、ここは加盟国同士で話し合う場所ですので、他の方は今から作る欄にどうぞ。 -- Hisame (2014-08-10 10 37 28) 加盟国で一度話し合った方が良いのでは無いでしょうか?断絶する兵器の定義や制裁など不明瞭な部分も多いですし -- 塩犬 (2014-08-10 16 19 21) スカイプなどどうでしょうか? -- 塩犬 (2014-08-10 16 19 57) かぎ状ができたらそちらで話し合うようですが、いつごろになるのでしょうか? -- ロンディバルト共和国 (2014-08-10 18 18 18) Skypeでします。皆さん、hisame_mtにコンタクトお願いします。 -- Hisame (2014-08-10 20 37 19) 検索するとたくさん出てくるのですが、「氷山帝國@ 氷雨」であってるでしょうか? -- ロンディバルト共和国 (2014-08-10 21 19 00) あってますよー -- Hisame (2014-08-10 21 50 30) 核防衛するためだけでなく、核攻撃された国家への支援も機構軍で行いたいです -- みのる (2014-09-03 23 00 18) 特別支援隊の編成ですね、各国に一隊を持たせることにしたいですが、一応スカイプ会議で議論します。多分可決です。 -- Hisame (2014-09-05 07 38 16) 放射能汚染を除去する化学部隊とかいいかも -- 塩犬 (2014-09-13 10 49 53) 我が国は日本列島が一撃で消滅する水爆M0を保有する 大規模な矛盾のため核兵器断絶機構にたいして宣戦布告することを宣言する -- マーティン (2014-12-01 16 08 50) 所属する国に対して宣戦布告する -- マーティン (2014-12-01 16 10 28) 私どもは核兵器を使わないために作り上げただけであり、各国の所有は何も口出ししていない。それでも貴国が宣戦布告を続けるならば機構国家全軍で向かわせていただきましょう。 -- Hisame (2014-12-01 17 17 48) 良かったでは宣戦布告を取下げさせてもらう -- マーティン (2014-12-01 17 26 25) また、宣戦布告をそう簡単にしないでください。我々に質問をなさってから気に入らなければ宣戦布告をして下さい。この宣戦布告によってどれだけの短い時間であっても動いた人々がいる事を考えてからお願いします。また、もっと現実味のあるお話をして下さい。 -- Hisame (2014-12-01 17 35 30) あと、ページに対抗できる兵力を貼っておかないで宣戦布告するのもやめてください。 -- Hisame (2014-12-01 17 37 59) 我がソルビアは非常に申し訳ないことをしてしまった本当に申し訳ないすみませんでした -- マーティン死刑囚 (2014-12-01 20 42 47) 名前 コメント 核兵器断絶機構軍 太平洋艦隊 艦名 艦種 開発番号(あれば) 派遣国家 ひえい ミサイル駆逐艦 NDS-201 氷山大日本帝國連邦 あたご ミサイル駆逐艦 NDS-202 氷山大日本帝國連邦 たかお ミサイル駆逐艦 NDS-203 氷山大日本帝國連邦 くらま ミサイル駆逐艦 NDS-204 氷山大日本帝國連邦 さんごく ミサイル駆逐艦 NDS-205 氷山大日本帝國連邦 しらお ミサイル駆逐艦 NDS-206 氷山大日本帝國連邦 くろお ミサイル駆逐艦 NDS-207 氷山大日本帝國連邦 いそすな ミサイル駆逐艦 NDS-208 氷山大日本帝國連邦 さんがく ミサイル駆逐艦 NDS-209 氷山大日本帝國連邦 しゅうほう ミサイル駆逐艦 NDS-210 氷山大日本帝國連邦 はるな 防空ミサイル駆逐艦 NDS-301 氷山大日本帝國連邦 あかぎ 防空ミサイル駆逐艦 NDS-302 氷山大日本帝國連邦 くろやり 防空ミサイル駆逐艦 NDS-303 氷山大日本帝國連邦 あさま 防空ミサイル駆逐艦 NDS-304 氷山大日本帝國連邦 しらね 防空ミサイル駆逐艦 NDS-305 氷山大日本帝國連邦 せきいし 防空ミサイル駆逐艦 NDS-306 氷山大日本帝國連邦 しらすな 防空ミサイル駆逐艦 NDS-307 氷山大日本帝國連邦 あさひ 防空ミサイル駆逐艦 NDS-308 氷山大日本帝國連邦 たにがわ 防空ミサイル駆逐艦 NDS-309 氷山大日本帝國連邦 こうかい 防空ミサイル駆逐艦 NDS-310 氷山大日本帝國連邦 天丼 原子力潜水艦 のじのじ国 とろろ丼 原子力潜水艦 のじのじ国 いくら丼 原子力潜水艦 のじのじ国 ロコモコ丼 原子力潜水艦 のじのじ国 鉄火丼 原子力潜水艦 のじのじ国 海鮮丼 原子力潜水艦 のじのじ国 かつ丼 原子力潜水艦 のじのじ国 目玉焼き丼 原子力潜水艦 のじのじ国 野009 原子力潜水艦 のじのじ国 野010 原子力潜水艦 のじのじ国 野011 原子力潜水艦 のじのじ国 野012 原子力潜水艦 のじのじ国 野013 原子力潜水艦 のじのじ国 野014 原子力潜水艦 のじのじ国 野015 原子力潜水艦 のじのじ国 野016 潜水艦 のじのじ国 野017 潜水艦 のじのじ国 野018 潜水艦 のじのじ国 野019 潜水艦 のじのじ国 野020 潜水艦 のじのじ国 野021 潜水艦 のじのじ国 野022 潜水艦 のじのじ国 蝦001 潜水艦 蝦夷=奥羽社会主義二重共和国 蝦002 潜水艦 蝦夷=奥羽社会主義二重共和国 蝦003 潜水艦 蝦夷=奥羽社会主義二重共和国 蝦004 潜水艦 蝦夷=奥羽社会主義二重共和国 蝦005 潜水艦 蝦夷=奥羽社会主義二重共和国 丼のたれ 潜水母艦 のじのじ国 丼の器 潜水母艦 のじのじ国 璃401 潜水母艦 氷山大日本帝國連邦 璃402 潜水母艦 氷山大日本帝國連邦 補給艦カローラ 補給艦 ネルシカ公国 A-1 警備艦 カーペンター民主主義共和国 大西洋艦隊 艦名 艦種 開発番号(あれば) 派遣国家 DN1クライスト 巡洋艦 DN-001 ネルシカ公国 DN2キルミス 巡洋艦 DN-002 ネルシカ公国 補給艦アルネコ 補給艦 ネルシカ公国 DD1 沿岸警備艇 DD-001 ネルシカ公国 アーディン1 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン2 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン3 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン4 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン5 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン6 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン7 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン8 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン9 神帝ドネツク大連邦帝国 アーディン10 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート1 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート2 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート3 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート4 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート5 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート6 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート7 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート8 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート9 神帝ドネツク大連邦帝国 PTボート10 神帝ドネツク大連邦帝国 春風型護衛艦1番艦春風 ファイアーストーム国 原子力潜水艦伊001 ファイアーストーム国 原子力潜水艦伊002 ファイアーストーム国 mashinkyariber ceinber k3302 ファイアーストーム国
https://w.atwiki.jp/maikuragunzibu/pages/20.html
申し訳ありませんが、写真などが移転されていないので最初からにさせていただきます。 編集お願いします。 TNTキャノンについて旧式TNTキャノン レールキャノン通常のレールキャノン 半没式レールキャノン コマンド系TNTキャノンコマンド系TNTキャノンの世代分け コマンド系TNTキャノンの世代別解説 ※JAVA v1.20.4対応第一世代コマンド系TNTキャノン 第二世代コマンド系TNTキャノン 第三世代コマンド系TNTキャノン 対水弾について対水弾一問一答 Q1.対水弾ってそもそも何? Q2.対水弾の仕組みってどうなってるの? Q3.砂をTNTと重なるように置いてみたけどTNTが出てこなくなった Q4.ちゃんとピストンで押し出すようにしてるんだけど、今度は砂が消えた Q5.対水弾に使用できる落下ブロックを教えて ドロッパー系回路DCC DDCC LDCC 発展型ドロッパー系回路 艦艇について非装甲艦艇のTNT砲 装甲艦艇のTNT砲 戦車について複合装甲の利点について はじめに 複合装甲 ―― その仕組みと利点 はじめに TNTと水 ―― 対(耐)水弾とは?複合装甲をわかるために 複合装甲、その仕組みと利点 あとがき 新世代の装甲技術溶岩装甲 反応装甲 爆風装甲 爆発装甲 光ブロック装甲 編集用コメント欄 TNTキャノンについて 旧式TNTキャノン 利点 被弾しない限り暴発しない 回路が単純なので修復が容易 欠点 装填の手間がかかる 複合装甲に対抗できる威力・射程が無い 上の欠点を解消すると回路が肥大化する レールキャノン 利点 射程、威力を上げるのが簡単 耐水弾を組み込むのが容易 方式にもよるが、発射時のタイムラグが少ない 弾薬の補充が容易 爆風範囲が広いため、弾頭の数を増やしやすい 欠点 回路が複雑で組み難い(僅かでも配置ミスをすると暴発する) 被弾したTNTの影響を受けて回路が破壊され、射撃の際に爆発することがある(模擬戦の場合) 通常のレールキャノン 他のレールキャノンよりも単純で作りやすいタイプである。 機構の高さが比較的低くなるため、主に戦闘機の機関砲等に使われる。 しかし、水を置く場所の横に梯子などの(一部隙間が空いている)ブロックをつけないとTNTカートが爆発せずに砲口から出てしまうので注意が必要だ。 現在は航空砲に(飛距離の長居)半没式を搭載することは一般的になっており、非推奨。 ※Ver.1.8以降から、梯子はTNTの爆風を弱めるようになったらしいので、トラップドア(ハッチ)などに置き換えることを推奨する(1.7.10でも爆発力の減衰は変わらない?要検証。 半没式レールキャノン このように、装薬TNTを弾頭TNTより下で爆発させることで砲の弾頭用ディスペンサーの数を多くできる機構である。 耐水弾の発射機構にも使われる方式で、うまく設定すれば耐水弾を1ブロックの穴から発射できる。 この構造は戦車砲にて一般的なタイプである。 基本的な構造は変わらないが、弾頭ディスペンサーの配置が変わっていて、「二点圧縮」の飛距離延伸型である 画像では省いている(入れ忘れた)が、耐水弾を組み込む場合は奥のディスペンサーを撤去して置くと良い。ピストン用の回路は注排水+ゲート開放の回路から伸ばし、RSリピーターを最大遅延(4遅延)で配置する。 後ろ側の回路はこうなっている。注排水+ゲート開放を同じ回路から入力していることが分かるだろう。 装薬の入力には、弾頭用のクロック回路から直接回路を伸ばすと良い。 コマンド系TNTキャノン ※2024/05/02現在 工事中 利点 回路の大幅な縮小が可能 非コマンド式TNTキャノン以上のカスタマイズ性 欠点 アップデートの影響を受けやすく、不定期の更新が必要になる (良くも悪くも)技術力によってクオリティに差が出やすい コマンド系TNTキャノンの世代分け 筆者Bによる個人的世代設定である点に留意されたし コマンド系TNTキャノンの世代別解説 ※JAVA v1.20.4対応 第一世代コマンド系TNTキャノン 第一世代についてまずは解説する。この型は最も簡単なコマンド系TNTキャノンであり、かつ最も多く利用されているものであると思われる。 このコマンドブロックに入力されているコマンドは左から summon minecraft tnt ~ ~1 ~ summon minecraft tnt ~ ~1 ~ {fuse 40s} である。それぞれ「着火されたTNTを1ブロック上に召喚するコマンド」「"2秒後に爆発する着火されたTNT"を1ブロック上に召喚するコマンド」となっている。 スイッチを押してみると、それぞれのコマンドブロックの上にTNTが召喚される。左のTNTは"fuse"タグ=爆発までの長さを設定しておらず召喚時に即爆発するが、右のTNTは40tick=2秒間爆発しない。結果として左のTNTの爆発で右のTNTが押し出され、押し出された先で右のTNTは爆発する。 これが基本的な原理である。 ※非コマンド式TNTキャノンでは弾薬TNTのブロック破壊を防ぐ為に水が使用されるが、この装置ではその役割を光ブロックに担わせている。光ブロックは水以上の高い爆破耐性を持ち、内部で爆発したTNTはブロックを破壊しない。見やすさなどの観点から本解説では光ブロックを使用するが、必要に応じて水などに変更していただきたい。 しかしながらこのままでは威力/射程共に非常に低い。第一世代ではこれを向上させるためには、 このように大量のコマンドブロックを使用する必要がある。これでは搭載できる兵器は大きい物に限定されてしまうだろう。そこで開発されたのが第二世代コマンド系TNTキャノンである。 第二世代コマンド系TNTキャノン 装置の基本形は第一世代のものとほぼ変わらない。変更があるのは光ブロックが二段になっている点と、コマンドブロックに入力するコマンドが複雑になっている点である。 左から summon area_effect_cloud ~ ~1 ~ {Passengers [{id "minecraft tnt"},{id "minecraft tnt"},{id "minecraft tnt"},{id "minecraft tnt"}]} summon area_effect_cloud ~ ~1 ~ {Passengers [{id "minecraft tnt",fuse 40s},{id "minecraft tnt",fuse 40s},{id "minecraft tnt",fuse 40s},{id "minecraft tnt",fuse 40s}]} である。それぞれ「着火されたTNTが4つ乗ったエリアエフェクトクラウド(ポーションの煙)を1ブロック上に召喚するコマンド」と、「"2秒後に爆発する着火されたTNT"が4つ乗ったエリアエフェクトクラウド(ポーションの煙)を1ブロック上に召喚するコマンド」となっている。 スイッチを押してみると、先程よりも高速で右のTNTが打ち出されたことが分かるだろう。これは単純に4倍のTNTの爆風が当てられた為である。 しかしながら4つも弾頭TNTがあるにもかかわらず威力はさほど変わらない。これは弾頭の4つのTNTが同時に爆発する為である。これを解決するために、右のコマンドブロック中にある40となっている所を互いに異なる数字に変えてみる。 summon area_effect_cloud ~ ~1 ~ {Passengers [{id "minecraft tnt",fuse 38s},{id "minecraft tnt",fuse 37s},{id "minecraft tnt",fuse 36s},{id "minecraft tnt",fuse 35s}]} これによって弾頭TNTは着弾後、下若しくは上方向に拡散するようになる。 第三世代コマンド系TNTキャノン さて、ここまで第一及び第二世代コマンド系TNTキャノンについて解説したが、これらは非コマンド系TNTキャノンを置き換えられるような有用性を持ち合わせてはいない。(強いて言えば「即発射や連射が出来る」程度である。) しかし、第三世代コマンド系は非コマンド系TNTキャノンではほぼ実現不可能な性質を有する。 工事中... 対水弾について 対水弾の詳細な説明は 複合装甲の利点について を参照 コメント スナップショット15w14aにて耐水弾が機能しないことを確認。今後砂を利用した耐水弾を使用できない可能性あり。 -- スナイプ (2015-04-02 01 07 01) エイプリルフールですよ、あれ -- SkyLink (2015-04-02 07 30 06) 砂を打とうとするとTNTと一緒に飛びません。どうすればいいのですか。 -- おふざけさん (2015-11-29 11 13 14) 説明うま過ぎワロタww -- おふざけさん (2015-11-29 11 15 13) かなり勉強になります! -- 名無しさん (2017-04-11 20 32 18) 圧縮式レールキャノン拡散型も載せといてください 下部装甲に強いです -- PPP (2018-06-28 17 11 08) ここにある情報から見てお分かりでしょうが、しばらくこのページは更新されていません。更新の意思と技量を持った参加者様の数に対して需要の方が大きい現状です。ですので、情報の古さに気づかれた方が積極的に編集に参加していただけるとうれしくおもいます -- みのる (2018-06-29 23 36 55) 半没式のかいろって、、、? -- 名無しさん (2018-08-23 20 26 47) 更新してほしい -- 名無しさん (2019-03-25 15 19 40) ガミラシークレット -- 最近は、マグマ着火式がスペース狭くできますね。 (2019-07-21 20 46 38) BE最新版にてカート/耐水弾機能せず。エンドクリスタル式キャノンに置き換えよ。(コマンド兵器になるが仕方がない。(どうでもいい)) -- さかな帝国 (2020-05-02 18 26 32) ただし、耐水弾の原理機構(砂透過)は機能しているため、研究の余地あり。 -- さかな帝国 (2020-05-02 18 28 33) BE版 -- まっちゃ (2021-08-16 17 05 21) 最高でした。 -- SIM (2022-02-13 13 39 06) Switchでもできますか? -- sakura (2022-03-04 08 24 10) コメント削除 非ログインユーザー(210.137.184.58)による荒らしコメントを削除しました -- 管理グループ (2022-03-07 23 24 00) スイッチでもできますか? -- pap (2022-10-21 22 20 28) pap、超砂は壁を貫通しますし、対潜爆雷さえまともに機能しなくなったりしていますが、単純な方式の対水弾なら撃てますし、しっかり水中で爆発してブロックを破壊してくれますよ。 -- 名無しさん (2022-12-13 22 05 40) 統合版で水の中のTNTトロッコが砂を飛ばしてくれないんですけどなぜかわかる人いますか?説明お願いします -- 名無しさん (2023-03-28 21 45 55) Switchだと出来ない(TNTが砂の上に乗っかる) -- 名無しさん (2023-12-31 18 51 26) なるほど -- はー (2024-02-26 18 17 43) 名前 コメント 対水弾一問一答 この項では対水弾に関するわざわざ長い文章を書くまでもないことを一問一答方式で一言程度で簡単に説明します。 随時更新予定です、 + ... Q1.対水弾ってそもそも何? 水流装甲に対抗すべく開発された、軍事部でも広く用いられている技術です。TNTをそのまま水流に当ててもブロックが破壊されないのに対して、どうにか破壊したいという軍事部の有志が開発しました。 着火状態のTNTは砂や砂利といった落下ブロックを透過し、また落下ブロックはTNTキャノンに突っ込んで発射しようとするとTNTと同じ挙動で飛びます。そこに着目した有志は、「TNTと落下ブロックを重ねて発射する」という発想に至り、実際に今日まで使われています。 Q2.対水弾の仕組みってどうなってるの? 大雑把に言えばこれです。 TNTの上に砂を設置しています。この状態でTNTに着火しますと、無論TNTは落下し、それと同時に真下のブロックを失った砂も落下します。落下地点ではTNTと砂が重なるという現象が起こります。 砂と重なった状態のTNTは水と接触しません。つまり水の影響を受けないため、普通と同じように周りの地形が破壊できます。 これをTNTキャノンにどうにか組み込めば、対水弾の飛ばせるTNTキャノンの完成です。 詳しい説明については 複合装甲の利点について に詳しく記述してあります。複合装甲に関する説明と合わせてご覧ください。 Q3.砂をTNTと重なるように置いてみたけどTNTが出てこなくなった 事実と異なる解説がされていたため削除しました。(Zetashea,0707,07 18) Q4.ちゃんとピストンで押し出すようにしてるんだけど、今度は砂が消えた 事実と異なる解説がされていたため削除しました。(Zetashea,0707,07 18) Q5.対水弾に使用できる落下ブロックを教えて 筆者が普段使用しているMinecraft1.7.2では、砂・砂利・金床が落下ブロックとなっています。 ただし対水弾に使用できるのは砂・砂利の二種類のみです。 金床については筆者が検証したところ、そもそも金床と重なった時点でTNTが無効化され(金床自体が「金床装甲」と呼ばれて装甲化されるほど硬く、金床の中に閉じ込められたような状態のTNTはその爆風を全て金床に吸われているんじゃないかと推測します)通常弾としてすら使えませんでした。 随時一問一答を追加して頂きたいです。 ドロッパー系回路 DCC DCC(Dropper_Counter_Clock) DCCとはしろくろはいいろ氏によって開発された機構。いつもはコンパレータからのクロック信号をリピータで直接発射用回路に伝えるのを、自分が指定(ドロッパー内のアイテム数)したクロック数で発射させるもの。 一般的にDDCCより汎用性で劣るが、その代わりドロッパー系回路の中では単純な構造になりやすいのでドロッパー系回路の入門にはうってつけ。 DDCC DDCC(Double_Dropper_Counter_Clock) DDCCとはしろくろはいいろ氏によって開発された機構。先のDCC機構に加え、カート回路と弾頭回路の間にもドロッパーを追加し、自由に装薬量を調整できるようにしたもの。筆者が確認した限りでは最大21クロックでの射撃を可能にしたものもあるように高い汎用性を持っている。 LDCC LDCC(Lever_Dropper_Counter_Clock) LDCCとは中村氏によって開発された機構。DDCC機構が弾頭回路へのロックを他に用意したドロッパーに担わせるのに対して、本機構ではレバーを使って行う。一般的にDDCCより汎用性が低く、明確に装薬装填時間を決められないのが欠点だが、構造が簡便で初心者向け。本機構を作れればたぶんDDCCも作れる。 発展型ドロッパー系回路 + ... TADS TADS(Top_Attack_Dispenser_System) TADSとはがる。氏によって開発されたDCC系機構用のシステムの一種。 DCC系機構で一時的に弾頭装填を停止することで、DCなどの旧式榴散弾を発射できるようにしたもの。 一時的に停止する機構はこれまで複数が開発されたが、現在主流なのはしろくろはいいろ氏によって開発されたロケット花火を感圧板で感知するタイプ。 CADS CADS(Clock_Adjustment_Dispenser_System) CADSとはDAZ_128氏によって開発されたDCC系機構用のシステムの一種。 上記のTADSの完全上位互換で、時間差でTADSを二回作動させることで、より長い時間弾頭装填を止めることが可能。 効果は敵の装甲に確実に弾頭をお届けできるらしい。(よくわかっていない) SDCC SDCC(Sand_Dropper_Counter_Clock) SDCCとは、TDCCの派生型で、TDCCが発射タイミングの調整を主目的にして居るのに対し、SDCCは超砂を実現するために装薬装填後又は装填前にクロック回路を一時的に遮断し、砂装填時間を作る機構である。 装薬装填前にクロック回路を遮断する場合は装薬用ドロッパーへの回路を遮断し、装填後の場合は弾頭用ドロッパーへの回路を遮断する。 TDCC TDCC(Three_Dropper_Counter_Crock) TDCCは、DDCC機構に発射タイミングを制御するDCCを追加で取り付けたものである。 また、制御内容が砲の種類によって多少違いがある。 滑走砲の場合は着火タイミング、アクティベータレールを使ったキャノンの場合は弾頭クロック開始タイミングを制御する。 唯一の欠点は超砂運用が不便なことであり、マルチヒートでの運用が主となるため砂積みには向いていない。 QDCC QDCC(Quad_Dropper_Counter_Crock) QDCCは、SDCC機構とTDCC機構を同時に扱える機構を指す。 超砂運用が難だったTDCCの弱点を克服し、相手への砂積みも容易となっているが、設定の幅がかなり広いため設定探しに莫大な時間を要する。 FDCC FDCC(Fifth_Dropper_Counter_Clock) FDCCとは、QDCCから派生したDCC系回路の一つで、名前の通りドロッパーが4つのQDCCに天板開放型超砂装填機構の為の天板開放ピストンの動作タイミングを調整するために1つのドロッパーを追加したもの。 HDCC HDCC(Half_Dropper_Counter_Clock) HDCCとは、上記のFDCCに弾頭を半減させる為のタイミングを調整するドロッパーを追加したもの。最新の模擬戦戦車は高度な砂排除システムである投下装置と呼ばれるものを装備しており、これに対抗して弾頭を減らす事で効率よく砂を積むことができるようにしたもの。 XDCC XDCC(未知数のX+DCC) XDCCとは、QDCCまたはFDCCに中落ち機構とHDCCの要素を組み合わせたもので、最新の模擬戦において主流となっている。中落ち機構は榴散弾におけるクロック遮断開始タイミングをドロッパーで自由に制御できる機構となっており、多種多様な榴散弾を発射できる。XDCCはDCC系の集大成的な機構で、これまでに出てきた機構で可能な動作のほぼ全てを網羅している。 艦艇について 非装甲艦艇のTNT砲 工事中 装甲艦艇のTNT砲 工事中 戦車について 複合装甲の利点について + ... はじめに 複合装甲 ―― その仕組みと利点 + Read? Thanks! はじめに 正直、中間に水入れるメリットはないと思う -- Aさん(仮名) どっかにあなあいたらそっから浸水して回路を破壊する確率が上がる -- Aさん どうだろ -- Bさん(仮名) 戦車の構造に依るけど、正面装甲に水流入れてもメイン回路には浸水しなさそう -- Bさん まあ構造にも依るけど -- Aさん 少なくとも、ないものよりも確率が上がるのは確か -- Aさん これは、とある日の軍事部員のやりとりです。 ここでAさんの「中間」とは、戦車の外装甲と内装甲のあいだ ―― つまり、「複合装甲」と呼ばれる構造において、内部水流の行きわたる空間のことを指します。 Aさんはこの会話で、戦車の装甲に穴が空いたとき、水流が戦車砲のレッドストーン回路を破壊してしまうのではないか?という指摘をしています。 もちろんそれは、Minecraftの戦車戦では大いに発生しうる状況です。戦車の天板が破壊されて、真上から降ってきた水が、回路をあっという間に破壊してしまう……。大変なことです。継戦能力が無に帰します。場合によっては、漏水に気づかずにトリガーを押して、暴発・大破などということも。 しかし、ただそれだけを理由に「メリットはない」と言い切ってしまっていいのだろうか? という疑問を否むことはできません。複合装甲を使って水流による自壊を許してしまうのと、複合装甲を使わずに敵に撃たれるのと、比較をしてみる必要があります。一体全体、どっちの方がヤバいんだ?ということです。 読者のみなさんもご存知であろうと思いますが、事実として複合装甲は、戦車の生存性を高める技術として、非常に単純かつ有用です。先人により提唱されて以来、複合装甲は、姿を少しずつ変えながら、非常な長きに渡って用いられてきた技術です。その歴史には、理由があります。 そこで、ここでは次のような内容を検証・解説します: 複合装甲ってどういう仕組みなんだろう? 複合装甲はどうして優れているんだろう? ぜひこの記事を読んで、複合装甲をよく理解し、実際の開発に役立ててみましょう。 もう豆腐なんて言わせない。作り方を工夫すればするだけ、あなたのブロック戦車は、びっくりするほど硬くなります! なお、この記事では、軍事部Wikiではあまり見られない注釈機能を使っています(*1)。それも一緒に読んでいただくと、記事の理解がより深まります(*2)。 TNTと水 ―― 対(耐)水弾とは?複合装甲をわかるために 四角形の面積の公式 ―― 「縦かける横」を理解するには、「かけ算」を知らねばなりません。同じように、ものを理解するには、まずはそれを組み立てている要素についてしっかり知らなければいけません。 装甲とは、砲弾から身を守るための最初にして最後の装いです。そこで、装甲を知るとは、その装甲が耐えるべき砲弾を知るということになります。 すこし、軍事部の歴史の話をさせてください。 Minecraft軍事部 ―― もともとはニコニコ動画・静画のタグとして生まれた言葉です ―― がまだ始まったばかりのとき、そこにあったのは、最も単純なTNTキャノンばかりでした。すなわち、TNTの”炸薬”を用いて、同じくTNTである裸の”弾頭”、独自のことばを使うのであれば、現在言われるところの「通常弾」を発射するキャノンです。 軍事部員たちはしばらく、「飛距離を伸ばす」、そして「弾頭を増やす」ということに没頭していきます。まだディスペンサーさえゲームになかった時代であれば、TNTを積み上げたり、ピストンで試行錯誤したり。ディスペンサーが追加された後には、今度はTNTの起爆時間との戦いになったり……。 しかし、そんな米帝的な技術競争に終止符を打ったのが、「水」でした。 水を兵器にかぶせただけの、水流装甲というものは非常に便利です。たとえばこういう構造: この装甲に掛かれば、通常弾は原則すべて無効化されます。どれだけ飛距離を伸ばしても、どれだけ弾頭を増やしても、水の中では無力なのです。今日でも多くの戦車で、あるいは発展して複合装甲となって使用されているのは、みなさんも良くご存知でしょう。 正確に言えば、水が爆発を防ぐということはすでに知られていましたし、ある程度意識はされていました。そもそもキャノンの炸薬自体がこの性質を利用したものです(*3)。海や川の底を掘削するための「対潜爆雷」と呼ばれる機構も当時すでに存在していました。しかし、どうあがいても破ることのできない「水」は、軍事部の、とりわけ陸上兵器を取り扱う人々の間では、さながら現在の黒曜石のように ―― 明らかなタブーではなかったにしても ―― 仮想敵としては最初から想定されていませんでした。 しかし、炸薬や弾頭に関する終わりのない技術競争がいよいよマンネリ化しはじめたあたりで、軍事部員はいよいよ、腰を据えて水と向き合うこととなります。対水弾が、本格的にはじまります。 ここで対水弾の原理をご紹介します。次にお見せするものが、この原理を最も簡単に表しています。 下に見えるのは、グロウストーンの上に水を張ったプールです。その上にTNTと砂があります。 レバーをONに切り替えることで、TNTブロックは着火され、落下します。それにより、支えを失った砂ブロックも同じく落下します。 着火状態のTNTは、砂や砂利などの落下ブロックが同じ座標に入ってくることを妨げません。 つまり2つのブロックは、落下地点で重なることになります。 実際に、ONにしてみましょう。 お見事!TNTは水に浸かっていたように思われるのに、グロウストーンは破壊されてしまいました。 でも、どうしてこうなるのでしょう。 ここでもう一度。水中では、TNTは無効化されます。 しかし、この現象の正体は一体なんなんでしょうか。ひとつの答えがあります。 TNTの爆発の衝撃は、TNTを中心として、その周りに広がっていくものだ、とイメージしてください(*4)。 TNTの衝撃は、当然TNTと同じ座標にも加わります(*5)。そこから広がっていくのだとイメージするのです。 その上で、TNTが水と重なっているとき、爆発による衝撃は水にすべて吸収されてしまうのだと捉えてください(*6)。 では、対水弾はどうして無効化されないのでしょうか。 砂が水に対して落ちるとき、落下地点の水源は砂に上書きされる形で消滅します。 つまり対水弾の場合、水ではなく砂がTNTに重なっているのです。 このとき、TNTはあくまでも砂の中にあるのであり、決して水の中ではないのです(*7)。 それゆえ、TNTの衝撃は、自身と重なっている砂ブロックに対して作用します(*8)。 またそれによって、砂に隣接していたブロック、さらにそれに隣接していたブロック、……。と、順番に衝撃が伝わっていくのだ、そういうイメージをしてみてください。 ただし、TNTの衝撃は実際には一瞬で伝わるので、隣の隣の隣の……と広がっている途中でグロウストーンに水が流れ込んできて吸収される、ということはありません。 これが対水弾の原理です。このようにして水は破られることとなったのです。そして対水弾の開発が進むにつれ、最も単純な部類の水流装甲は、その効力を失っていくことになります。 なお、対水弾についての主な説明はここで終えることになりますが、もう少し補足しておくと、 砂や砂利、金床など、支えを失うと落下するブロック類は、単に地面に垂直に落下するばかりではありません。 落下中のそれらに、炸薬により衝撃を与えることで、TNT弾頭のように”発射”することができます。 それらの落下するブロック類を、着火されたTNTと重なるように発射することで、みなさんもご存知の、実際のキャノンとしての「TNT対水砲」を作ることができます。 実際に作ってみるとけっこう調整が要ります。読者の皆さんに各自で研究していただきたいと思います。 複合装甲、その仕組みと利点 そもそも簡単に紹介すると、複合装甲とは、「水・石・水・石」というふうに交互に配置され、装甲の深いところまで工夫された装甲のことです。 次のような画像は、複合装甲の構造を比較的簡単にあらわしたものになります。すでに対水弾が準備されています(*9)。この構造を装甲Aとします: 複合装甲においては、装甲内部は何重かの層になっています。そのため、装甲の外側(*10)から順に、一層目、二層目と書くことにします。 この複合装甲を、以前にも貼った水流装甲の画像と見比べてみてください。こちらを装甲Bとします: さて、結局、この文章で説明したいのは、つまるところ装甲A(*11)って装甲B(*12)と比べて何がいいの?という疑問への解答でした。 いよいよそれを、ここから検証していきましょう。 対水弾に関する解説で、プールの底のグロウストーンが破壊されたのは、砂→グロウストーン→他のグロウストーン→……と衝撃が伝わっていったからだということをお話したと思います。 この考え方によれば、装甲Bにおいては、設置された対水弾の衝撃は「対水弾→土→隣の土→隣の土→……」と伝わっていくはずではないでしょうか。 実験してみましょう。 このようになりました。 予想どおりの結果です。装甲の一番外側(*13)から伝わってきた衝撃が、装甲の表面から3ブロック分も深い土までを抉り取っています。もしも装甲Bが実際のTNT戦車砲により撃たれ、TNT何十発分にも及ぶ衝撃を加えられたとしたら、たとえこれが石レンガの装甲であったとしてもひとたまりはありません。 では、装甲Aで実験してみた場合、どうなるでしょうか。 結論から示すと、このようになります。 便宜上配置したガラスこそ破壊されましたが(*14)、装甲Aの二層目には全くダメージが及んでいません。 先ほどTNTの爆発の衝撃についてくわしく書きました。この考え方を、この実験にも引き続き使っていきます。 上の写真は、「水と重なっているTNTが、壁の隣にある状態」であると解釈してください。 砂ブロックは、この写真では壁です。TNTは”裸”であり、通常弾のような状態です。 もう一度確認しますが、このようなときには、TNTの爆発の衝撃はすべて水に吸収されてしまいます。この現象を私たちは、「TNTが水に無効化される」と短く呼んでいるのです。 さらに、次に示す画像をご覧ください。このような場合にも、TNTの衝撃は砂には届かないことに注意してください(*15)。 TNTの爆風の衝撃は、TNTそのものの座標を中心にして広がっていきます(*16)。 そして、衝撃の広がった先に水がある場合には、その水にも衝撃が吸収されてしまいます(*17)。TNTと水が重なっていた場合と同様です。 さらに、これも水がTNTと重なっていた場合と同様に、その水から衝撃がさらに広がることはありません。 とにもかくにも、TNTの爆発は、水によって衝撃が吸収され、遮断されてしまうのですね。 つまり、「対水弾→土」と伝わったTNTの衝撃が、「土→水」の段階で水に吸収されていた。その結果、「水→土」のように衝撃が伝わることはなかった。 これが、先ほどの実験で起こっていた現象の正体です。 対水弾とは、TNTや爆発の性質そのものを変えているわけではありません。 どちらかと言えば、TNTの爆発が通用する環境を、砂によって無理やり作り出しているのです。 ここまでの話を踏まえると、複合装甲とは、対水弾の技術で作り出された、TNTが水を貫通する環境を、さらに無効化するための技術である。そのように言い表すべきでしょう。 かつてどれだけキャノンの威力を強めても決して水を貫くことができなかったのと同じように、たとえTNTの何十発が対水弾の一撃に込められていたとしても、複合装甲が用いられるかぎり、その初撃は二層目にはほとんど伝わらないのです。 もちろん、一層目を破壊された複合装甲に、もう一度対水弾を撃ち込んでしまえば、複合装甲はもう一層貫かれることになります。 しかし逆に言えば、たとえば100層から成る複合装甲を作ったとすれば、99回までは対水弾をほぼ必ず耐えられる、そういうことになるのです。 Minecraftで実際に作られるブロック戦車は、幅は7~11ブロック、全長はせいぜい20~30ブロックほどになります。現実的には、対水弾に耐えられる回数は数回程度です。しかし、技術は常に発達しています。現在の複合装甲は、この解説中の装甲Aほど単純な形状ではありません。防御力を少しでも高めるべく、複雑な形状を取るようになってきています。そうして開発される優れた複合装甲であれば、たとえ装甲に使われる領域が狭かろうと、多くの対水弾を弾くことも夢ではないのです。 この文章を書くきっかけは、軍事部員の次のやりとりであったと初めに述べました。 正直、中間に水入れるメリットはないと思う -- Aさん どっかにあなあいたらそっから浸水して回路を破壊する確率が上がる -- Aさん どうだろ -- Bさん 戦車の構造に依るけど、正面装甲に水流入れてもメイン回路には浸水しなさそう -- Bさん まあ構造にも依るけど -- Aさん 少なくとも、ないものよりも確率が上がるのは確か -- Aさん 「中間に水を入れるメリットは、本当にないのか」。その答えは、読者のみなさんがすでにお持ちであると思います。 回路の保護を理由に複合装甲の搭載を見送ってしまったとしたら、あなたの戦車は、対水弾により一発で破壊されてしまいかねません(*18)。 逆に、複合装甲を搭載した戦車が対水弾を3発や4発撃たれてしまって、その傷から回路部分に水が漏れてしまったとしても、その戦車は、2発や3発分は、ただの水流装甲を搭載していた場合よりは長生きできたのだということにほかならないのです。 複合装甲とはこのように、Minecraftにおけるブロック戦車の生存性を大幅に高める、非常に優秀な技術であると言えます。 ぜひ皆さんも、この技術を存分に用い、軍事部での開発生活を豊かなものにしていきましょう。 あとがき 本稿は、2014年の夏に原著者が作成したものを原本とし、同じ著者により全面的に改稿を行ったものです。 改稿者は既にMinecraft軍事部@wikiを退いた身でしたが、2019年12月、Wiki運営に携わっておられる方に自ら改稿を提案し、ご快諾をいただいた上、代理で更新していただいた文章になります。 ご協力いただいた関係者の各氏には心からのお礼を申し上げたいと思います。 解説に見られる誤り、文章や画像に見られる改善の余地、これらは全て筆者の過失による瑕疵です。 Minecraft軍事部@Wikiのアカウント所有者であれば、誰でもこの内容に加筆・修正を行うことができます。 新世代の装甲技術 + ... 溶岩装甲 溶岩装甲とは、水と溶岩流が接触すると丸石や焼き石が生成されることを利用した装甲。主に地面をえぐり、戦車底部を狙うHESH対策に使用されることが多い。一部では全自動丸石製造機を搭載し、壁を築くような事例も存在する。 展開方法としては、砲身にディスペンサーを配置する場合が多いが、ドーザーや地雷元処理装置を模した物を戦車前方に配置し、そこから展開することも少なくない。 反応装甲 反応装甲とは、現実におけるリアクティブ・アーマーと同様に攻撃を受けて発動する装甲で、トリップワイヤーフックなどでTNTの飛来検知し、何かしらの反応をする装甲。現実の爆発反応装甲を模してTNTやTNTカートで敵弾頭をあらぬ方向に飛ばすものや、エンティティを利用した装甲の再展開を可能にするための倫理装甲というものも存在する。 爆風装甲 工事中 爆発装甲 工事中 光ブロック装甲 光ブロック装甲とは、その名の通りv1.17で追加された光ブロックを利用した装甲である。光ブロックは水と同様内部のTNTの爆発を無力化する性質がある為、水流装甲の代替品となる。水流装甲が展開できない複雑な立体物等に利用される。※戦車模擬戦には使用不能な場合が殆ど。 編集用コメント欄 梯子は爆風を弱めるようになったので、ハッチなどに取り替えるのをおすすめします。って、日本語おかしくないですか -- 名無しさん (2015-01-03 12 46 46) 参考になりました -- 名無しさん (2015-09-22 15 45 29) 戦車を大きくしないで防御・攻撃ってできるの? -- おふざけさん (2015-11-29 11 17 39) asutako995さん説明めいありがとうございます -- おふざけさん (2016-03-25 19 23 25) 「そしてRさんの「破壊されたら回路に水流が入るんじゃね?」なんてお悩み。これはそもそも、戦車をしっかり設計すればただの水流装甲だろうが複雑な複合装甲だろうが浸水を100%防げます。」のとこRさんになってね?Aさんじゃね? -- フレア (2016-08-01 14 12 49) これもマイクラのすごいところ -- kidotakayosi (2016-10-04 14 57 32) でも今はチョバムアーマーだったけ?そんなので耐水弾防げるnだよね -- おふざけさん (2016-11-06 18 48 57) マイクラはどんどん兵器が出来るねー -- おふざけさん (2016-12-04 17 44 00) ↑日本語おかしくないですか へ おかしいとは思いませんが口調がいきなり変わっているのは少し気になりますね。 梯子はTNTの爆風を弱めるようになったので、トラップドア(ハッチ)などに置き換えることを推奨する。 とかなら違和感がないかもです -- 名無しさん (2017-05-27 11 01 54) ↑あの...別に自分は書いた本人ではないですが二年以上前の質問に返信するのも... -- 名無しさん (2017-05-27 12 47 50) 「通常のレールキャノン」の発射装置の所には何を入れればいいのでしょうか? -- しょぼん (2017-11-04 09 37 37) 上記のニコニコ動画のリンクに飛べばわかるはずです。 -- 名無しさん (2017-11-04 19 17 44) 艦艇の所に、(空欄なので)「艦艇の主砲は戦車に比べて(もちろん航空機よりも)大型化し易く、機構の大型化に伴い弾頭数の強化、射程の延伸がし易い。また、大型艦の巨体を水流装甲で防御する事は困難かつ非現実的であり、こちらの砲弾に耐水弾加工を施す必要はないため、その点に関しては戦車砲より回路の簡略化が可能。」この程度の解説があっても構わないと思うのですがどうでしょうか? -- 通りすがりの名無し (2017-12-09 13 07 18) さーて戦車作るか〜〜(^。^) -- キノコ (2018-03-06 17 17 46) さてと、戦車作るか -- そっつ (2018-07-18 15 54 55) 同じようにプールを作って実験しましたが、重なるもののブロックを破壊できませんでした BEでver.1.5.3です できたらアドバイスをお願いします -- マイクラ兵器UR軍 (2018-08-24 02 05 15) 実験してませんが、水を垂らし、したにソウルサンドを置けば -- まーくん (2018-09-20 18 55 34) 返信が二年以上経ってからとか草、 このWiki機能してなくね? -- R.S (2019-03-06 19 35 22) bo -- miwa0714 (2019-04-28 09 11 18) 確かに。軍事部wikiの更なる発展のためには、皆さん、コメント御願いします(^o^) -- 名無しさん (2019-07-21 20 39 36) ガミラシークレット -- わかりました,,, アー、例えばアクティブ装甲何かもあった、、。 (2019-07-21 20 44 57) ありがとう😃 -- 名無しさん (2019-07-21 20 49 16) アクティブ装甲はどのようなものでしょう? -- 名無しの名無し (2019-07-21 20 52 25) マイクラ戦車におけるアクティブ装甲と呼称される機構は、(多くの場合ですが、)水流によって破壊されうるブロックや、赤石関係のブロックを使用し、水流が展開されることによって、有効化される防御機構のことを指します。ユーザーによってさまざまな種類がありますので、ようつべやツイッターで見てみるといいでしょう。長文失礼いたしました。 -- bisihop1059 (2019-07-21 22 23 14) TDCC SDCC FDCC HDCC XDCC 追加で -- 無名者 (2020-10-10 10 44 37) 上の画像と同じように、TNTの上に砂を置き着火してもブロックの破壊が起きませんでした。 -- クリスタルキャノン信者 (2021-02-14 10 25 52) 着火した瞬間にTNTがずれてしまうのが問題だと考えたのですがどうでしょうか?(ちなみに統合版入れてないSwitch版の最新バージョンです。) -- クリスタルキャノン信者 (2021-02-14 10 27 47) java版1.16.5にて、縦向き設置の鎖が梯子より爆風減衰が少ない可能性を確認(要検証) -- やらと (2021-03-18 01 47 52) ↑鎖は設置向きにもよるが、斜め方向にのみ爆風を大きく通す模様。方角依存等引き続き要検証 -- やらと (2021-03-18 18 25 38) 装甲関連では、他に卵分離装甲 アブゾープション装甲 爆風装甲 重金属装甲 ドーザー 砲身分離装甲 単発式底面爆破機構 クロック式底面爆破機構 金床投下装甲 非謀反型金床投下装甲 ボート装甲 爆発装甲(英国面) 爆発装甲クロック式(英国面) 倫理装甲( 高速応答倫理 タイマー付き倫理装甲 クロック型倫理装甲 最速応答型倫理装甲) TNT投下装置 自傷 -- 海軍進出者 (2021-05-05 18 39 19) があります -- 海軍進出者 (2021-05-05 18 40 25) 海軍・空軍系のテクニックはないんでしょうか -- ネストニア (2021-09-09 12 37 01) 発展用ドロッパー回路の工事中のとこ、追加しても良いでしょうか? -- potetoonan1 (2021-09-15 15 52 51) ご自由にどうぞ -- kostlortar336 (2021-09-17 06 56 33) ありがたいです!! -- potetoonan1 (2021-09-17 07 02 41) 作ってみてもいいですか? -- SIM (2022-02-13 13 43 36) とてもわかりやすいですね。 -- sakura (2022-03-02 12 43 05) あまりカートキャノンのことを知らなかったのでとても助かりました。 -- sakura (2022-03-02 12 47 20) 回路のことがよくわからなかったのでとても助かりました。 -- カロリーMOD (2022-06-16 12 47 08) XDCCとかってどっちの方角に撃てるんすか? -- 無名 (2022-08-26 11 13 41) BE版用の説明も欲しいです。 -- わらみー (2022-09-04 08 55 35) beお願いします。 -- anonymouce (2022-10-23 19 29 20) DDCCやSDCC,QDCCなどの、作り方を乗せてもらえると嬉しいです。 -- speed君 (2022-11-04 14 09 28) DDCCやSDCC,QDCCなどの、作り方を乗せてもらえると嬉しいです。+BEもお願い致します。(switch) -- speed君 (2022-11-04 14 12 15) アクセラレータもお願いします -- speed君 (2022-11-04 14 15 26) アクティブ水流装甲って再利用可能なものはありますか? -- アンパンマン (2022-11-26 18 24 58) 最新版のキャノンについて教えてください -- 名無し (2022-12-11 13 15 15) Switch1.20.50です!ddccとかの作り方教えてください -- 名無しさん (2023-12-31 18 53 42) ↑あと耐水弾も! -- 名無しさん (2023-12-31 18 56 40) DDCCとかの解説自体はyoutubeで調べた方がわかりやすいです。switchだと即爆を使ったキャノンは作れませんが、それ以外なら少し昔のキャノンでも結構機能します。 -- 名無しさん (2024-04-25 14 01 31) 統合(スイッチ)で耐水弾が機能しなくなりました(組み込んだキャノンはおろか実験のような装置を作ってもTNTが砂の上に浮かび上がってくる。バージョンは1.12.80です) -- 名無しさん (2024-05-12 22 36 48) 名前 コメント メニュー 【運営からのお知らせ】 前回募集から2年以上が経過しており、新しく参加された方々も増えたので、本wikiのTOP画像の募集を行うこととしました。参加条件は当wikiに参加している事のみ、是非この機会に応募してみて下さい!募集期間は5月6日20 00までです(24/04/28) メニュー 2024-05-12 22 36 51 (Sun) 【運営からのお知らせ】 前回募集から2年以上が経過しており、新しく参加された方々も増えたので、本wikiのTOP画像の募集を行うこととしました。参加条件は当wikiに参加している事のみ、是非この機会に応募してみて下さい!募集期間は5月6日20 00までです(24/04/28) ページ検索 and or 基本事項 トップページ 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シチリア晩祷戦争 この項目ではシチリア晩祷戦争について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(140年8月) System=ダイス シチリア晩祷戦争(しちりあばんとうせんそう、英 War of the Sicilian Vespers、統一歴140年-140年)は、シチリアの晩祷事件をきっかけに、シェラルド王国がトラキア・ローマ帝国租借下のシチリア島奪還をめざし侵攻したことで、両国が率いる機構のあいだで起こった戦争である。 シチリア晩祷戦争 目次[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. トラキアによるシチリア租借 2-2. シチリアの晩祷事件 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. シチリアの戦い 4-2. ナポリ軍団の反乱 4-3. 神聖ローマ=ビュザンティウム戦争 4-4. サレルノ・ベネヴェントの戦い 4-5. 第一次ローマ攻防戦 4-6. holynation独立戦争 4-7. イストリア戦線 4-8. 第一次ティレニア海海戦 4-9. ペスカーラ上陸作戦 4-10. 両都攻勢 4-11. ガリポリ上陸作戦 4-12. コンスタンティノープル陥落とモレラの離脱 4-13. モンカリオリの両王決闘 4-14. 第三次ローマ攻防戦 4-15. ナポリ撤退戦と第二次ティレニア海海戦 5. 終戦と講和 6. 影響 7. 関連項目 8. 参考文献 シチリアの晩祷事件 パレルモ講和会議 戦争 シチリアの晩祷戦争 年月日 2020年08月02日 - 2020年09月05日 場所 イタリア半島、シチリア島、ボスポラス海峡など 結果 戦前回帰。対モレラ、対HNはシェラルド勝利 交戦勢力 シェラルド王国 トラキア・ローマ帝国 アナトリア諸侯 尾鷲帝国 モレラ共和国 HolyNation 指導者・指揮官 エリックⅠ世 ユリウスⅥ世 エルンスト・ロシェシュタール グナエウス・コルウス・カエサル オイスタン・コルーメディ ラエティリウス・ユニウス・キンナ イーゼット大公 モレラ大統領 シーナン・オニール モレラ将軍 ヴィットリオ=アメデーオⅩ世 HN将軍 概要 シチリア島民の反トラキア反乱であるシチリアの晩祷事件が発生し、これをシチリア奪還の契機とみた神聖ローマ皇帝エリックが介入し開。神聖ローマ帝国とビュザンティウム連合との機構間戦争に発展した。シチリア島民は独立を望み、シェラルドのナポリ軍団と結びつき反抗したが、後により民主的なトラキアへ靡きBU軍をナポリへ率引き入れた。これに対しエリックは大陸軍を引き連れ撃退を図るも、HRE領サヴォイア王国で元holynation王太子ヴィットリオが独立反乱を起こしたため、ローマの救援に失敗しBU軍がローマを占領した。その後陸海で一進一退の攻防が続き、膠着の打破を図りシェラルド=アナトリア軍はBUの一角モレラ共和国を攻撃した。多大な犠牲を払いコンスタンティノープルを占領すると、モレラとは早期和平が実現した。また、モンカリオリの両王決闘でエリックがヴィットリオを破るとHN戦線も終結し、トラキアが取り残され一転し劣勢となった。トラキアの背後でアフリカ大戦が発生すると、トラキア軍はシチリアへ撤退したが、シェラルドもまた背後で東欧戦争が発生し、追撃が叶わなかった。両軍はカラブリアとメッシーナで睨み合ったまま膠着し、そのまま和平となった。パレルモ条約が締結され、シチリアはトラキアへ、ナポリはシェラルドへ。と、戦前の状態へと回帰した。 緑がシェラルド=アナトリア同君連合、黄色がトラキア・ローマ=尾鷲同君連合、橙がモレラ共和国、水色がサヴォイア王国、灰色は教皇領。中央の赤色が争点となったトラキア領シチリア 背景 トラキアによるシチリア島租借イタリア半島はかつてのローマ帝国の中心地であり、ローマの後継を自称するトラキア・ローマ帝国、holynation、そして神聖ローマ帝国を率いるシェラルド王国の間で係争地となっていた。135年、シェラルド王国はスイス継承戦争に端を発するholynationとの戦争(半島戦争)に勝利し、イタリアの大半を手中に収めた。しかし137年、神聖ローマ帝国とレグルス帝国の間に戦争が起こると(第十次十字軍)、その隙にシェラルドの属国となっていたholynationの後継国家であるサヴォイア王国が、イタリアの島嶼や都市を各国に売却してしまった。シェラルド軍や皇帝エリックはアナトリアにおりこの動きを阻止できなかった。エリックは中華連邦のナポリ、トンガ帝国のカラブリアなどを外交努力によって回収したものの、トラキア・ローマ帝国のシチリア島については交渉がまとまらなかった。両国は106年のトラキア・ローマ皇帝ユリウスⅥ世とシルビア・イェリングの婚姻以来33年間にわたり同盟を維持していたが、シチリア島及びイタリアを巡り関係が悪化。第三次欧州大戦の勃発時にトラキア・ローマ帝国が参戦要請を拒否すると、遂に同盟は破棄された。 神聖ローマ皇帝エリック1世およびトラキア・ローマ皇帝ユリウス6世と皇后ソフィア・イェリング シチリアの晩祷事件トラキア・ローマ帝国がビザンツ帝国の旧領回復を目指し、エジプトの尾鷲第一帝国に侵攻したビザンツ・エジプト戦争は、139年にアレクサンドリアが陥落し終結した。ヒュペリオン条約によってトラキア・ローマ皇帝ユリウスⅥ世が尾鷲皇帝を兼ねると、尾鷲帝国はトラキア・ローマ帝国の同君下位国となった。この戦争中に莫大な戦費、物資を必要としたトラキアは、シチリア総督に任命していたバッシウス・パウリヌスに命じ、シチリア島全土からの徴発を行った。この指示自体は戦争税としては決して他国と比べ多過ぎるようなものではなかったが、パウリヌスは違法に徴発額のを嵩増しし、上前をハネていた。戦後にこのことが明るみに出るとトラキア議会は紛糾した。しかし時既に遅く、シチリア島住人の間では反トラキア感情が爆発した。各地で抗議デモが起こり、頻繁に暴動へ発展した。トラキアは国家憲兵隊を派遣し沈静化を図ったものの、多数の死傷者を出した。中でも最大の暴動は3月30日にパレルモで発生した。この日はシチリア島の住人が信仰するC教の復活祭の日であり、多数の市民が教会前で抗議集会を行っていた。そこに現れた国家憲兵隊の一人が集会を解散するよう命じたところ、教会の晩祷の音を合図に暴動が発生した。トラキアの国教はローマ神教であり、憲兵隊がC教の風習に無遠慮な振る舞いがあったことが原因とされている。 シチリア島民を弾圧するトラキア国家憲兵隊 開戦 神聖ローマ皇帝エリックのシチリア侵攻トラキア政府は暴動鎮圧の為に正規軍1万人を派遣したが、このときシチリア島の対岸、ナポリのカラブリア市に皇帝エリックと親衛隊、さらにシェラルド軍第4軍団が終結していた。C教徒の保護を掲げるエリックはシチリアの晩祷事件を好機と捉え、シチリア島の再征服に乗り出した。8月3日、エリック及び神聖ローマ帝国はトラキア・ローマ帝国及びビュザンティウム連合に対し宣戦布告し、カラブリアの対岸メッシーナへ侵攻を開始。現地の親シェラルド貴族の手引きでマルシアル元帥麾下の第4軍団に橋頭保を築かせると、続々と上陸。エリック自身もシチリアへ降り立った。トラキア軍は暴動鎮圧の為シチリア全土に広く薄く分かれており、この突然の上陸を防ぐことができなかった。 シェラルド軍のシチリア上陸 開戦後の経緯 シチリアの戦い上陸したシェラルド軍は首都パレルモを目指し進軍。また、各地に散らばるトラキア軍を各個撃破すべく、軍を分散させた。トラキア軍派遣軍司令官オクタウィアヌスは水際防衛の為シチリア東部の都市カターニアの部隊を向かわせ、両者はトロイーナで交戦した。本戦争における最初の両軍の本格的な戦闘である。トラキア軍はトロイーナで時間を稼ぎ、終結を待つ作戦をとったが、しかしシェラルド軍の予想以上の行軍速度の前に破綻した。欧州の機動戦への慣れの差もあったが、トラキア軍は行く先々でシチリア島民のゲリラ戦に苦しんだ。後退したトラキア軍は各都市での籠城戦に切り替えたが、パレルモを除き早期に陥落した。オクタウィアヌス麾下のトラキア軍はパレルモで籠城していたが、6日には事情が変わってきた。パレルモ市民の抵抗運動が激化し、ただでさえ欠乏している物資に放火されたり、夜間に兵士が襲撃にあうなど、最早籠城など不可能な状況であった。止む終えずトラキア軍はパレルモから進出。前方のコルレオーネに陣を敷いた。トラキア軍は憲兵隊や警察官まで動員し抗戦したものの、物量差は覆せず敗戦した。士気に限界がきていたところに、シェラルド軍十八番の騎兵突撃は抜群に効いた。トラキアのシチリア派遣軍はその殆どが戦死、あるいは捕虜となり、シチリア島の戦いはシェラルドの完勝であった。 シチリアでの戦闘はシェラルド軍が優位に進めた。 ナポリ軍団の反乱HRE皇帝エリックは占領したパレルモへ入城した。エリックはシチリアの反乱を異教の支配者に対するC教徒の反乱と捉えており、HREの下に回帰することを望んでいると信じて疑わなかった。しかしこれは大きな過ちであった。反乱戦争の中で、シチリア島民の要求はこれがHRE及びシェラルド王国を窮地へ陥れることとなる。4日、ノルマンニ宮殿でエリックのシチリア王位の確認と同地のHREへの回復が宣言された。しかし、その帰途エリックはパレルモ市民からの銃撃にあった。銃弾は彼の帽子を飛ばしたに過ぎず、犯人はただちに親衛隊により射殺されたものの、これがきっかけとなりシチリアは再び反乱に包まれた。エリックは鎮圧を軍に命じたが、これは戦場たる島内で軍を分散させる悪手であり、トラキアの二の轍を踏む判断であった。翌5日、反乱はナポリへ飛び火した。パリの参謀部は、ナポリ人で構成され、自治権と引き換えに現地の守備隊となる、シェラルド軍のナポリ独立軍団に反乱の鎮圧を命じた。軍団長のジュゼッペ・ガルボ将軍はナポリでこの命令書を受け取ると、伝令兵を惨殺し、シェラルド軍を離反し反乱軍へ付く決心をした。彼はナポリ各地の反乱軍を糾合し大軍を作り上げ、市民兵や農民兵の集団だった反乱軍に正規軍の武器を齎した。大パニックと化した参謀本部を尻目に、ナポリ軍団は半島を南下した。 HRE皇帝エリック 神聖ローマ=ビュザンティウム戦争ナポリ軍団は皇帝軍を撃破すべくシチリアへ向かったが、これを猛追したのがローマにいたロシェシュタール元帥麾下のシェラルド軍イタリア方面軍だった。ロシェシュタールはローマを発つと不眠不休の強行軍でナポリ市に到達。半数を包囲に残しさらに南下してナポリ軍団にコゼンツァで追いついた。両軍の戦闘は、歴戦の元帥が巧みな指揮でナポリ軍団を撃破し皇帝を救ったものの、長距離行軍の疲労で追撃が叶わず、ナポリ軍団の大部分は半島東部へ撤退した。パレルモの神聖ローマ皇帝エリックは、情勢の変化を受けて、指揮を執るべくフランス本土へ帰還した。少数の守備隊がシチリアに残ったが、トラキア兵の死体から武器を奪ったシチリア島民の襲撃により、まもなく陥落した。島民はパレルモのマッシモ劇場に戦争遂行のための臨時評議会を立ち上げ、反乱の組織化を目指した。しかし、頼みの綱のナポリ軍団が目前で敗北したことを知ると、協議の末、これを伝えに来たガルボの密使に評議会としての結論を伝え、ガルボの下へ送り返した。シチリア評議会とナポリ軍団は、共にHRE、BU双方を敵に回すのは困難との結論で合意し、独裁的なHRE皇帝でなく、議会民主制を尊重し尾鷲の統治で実績を示したトラキア軍との交渉を選んだ。ガルボは全権大使としてバーリ市でトラキア使節と会談すると、トラキアのもとでナポリ、シチリアが自治権を有することで合意。ナポリ軍団もトラキア軍へと下り、トラキア軍は尾鷲から集めた義勇兵と共にナポリへ出兵し、モレラ共和国がBU加盟国として参戦した。これを受けてHRE皇帝エリックはモレラと国境を接する、自身が王位をもつアナトリア王国に参戦要請を出し、これにより様相はトラキア率いるBUとシェラルド率いるHREとの、2勢力による全面戦争へと移行した。 トラキアの植林事業は尾鷲人に歓迎され、快く義勇兵派遣に同意した。 サレルノ・ベネヴェントの戦いナポリ軍団を取り逃がしたロシェシュタール元帥は、トラキア軍のイタリア本土上陸を察知すると内線作戦による機動戦による各個撃破を目指しナポリを直ちに出立し、サレルノの山間でビュザンティウム連合軍に強襲攻撃を仕掛けた。突然の攻撃に連合軍は混乱状態に陥り、戦列の右翼が一時崩壊寸前の状態にまで陥った。すかさず、シェラルド軍は軽騎兵による騎兵突撃を敢行し、片翼包囲を図ったものの、後詰めの尾鷲義勇兵によるファランクスに阻まれ撤退、戦いの趨勢をは振り出しへと戻った。一方、ナポリ南方に上陸した第4軍団「マルス・インウィクトゥス」は上陸地点近くにに大量のダミー戦車と物資を残し、大軍が集結しているかのように偽装し、シェラルド軍の注意が南へ集中している所を大きく迂回し北方からナポリを強襲した。途中、ベネヴェントでジュノー将軍指揮下の師団級部隊と接敵したものの、物量のものを言わせ撃破、ナポリ目前へと迫った。後背を脅かされる形となったロシェシュタールは不利を悟り戦場を撤退。その後、疲弊した方面軍ではナポリの防衛も困難と判断し、教皇領のローマ市まで後退した。 サレルノの戦い。 第一次ローマ攻防戦BU軍はローマを包囲した。HRE皇帝エリックはイタリア方面軍に対し、ローマ市の死守命令を下した。方面軍は籠城戦でよく耐えており、この間に大陸軍が援軍に駆け付ける手筈であった。しかし、情勢は背後で起きたある事件によって急変する。背後サヴォイアでholynationが独立戦争を開始したためだ。北イタリアをローマへ向け行軍中だった大陸軍は、突如として南北の敵に包囲される形となってしまい、HN軍への対処によりローマへの応援は困難となった。この情報が伝えられたローマでは、教皇庁の脱出作戦が行われた。世闇に紛れての逃避行は、これに気づいたBU軍の総攻撃との激戦となった。この戦闘は方面軍が勝利し、教皇庁はミラノへ逃れたものの、方面軍の余力は尽きていた。続く第二次総攻撃では、トラキア軍が精鋭第6軍団を惜しみなく投入したことで多くのシェラルド兵が戦死した。HREの聖都は遂に陥落した。 聖都は炎に包まれた。 holynation独立戦争かつて半島戦争でシェラルド王国と戦い敗北し滅亡。その後領土もわずかなサヴォイア王国として復活した元holynationでは、シェラルドからの独立運動も盛んであった。追放された元王太子ヴィットリオはこうした動きを耳に入れ、密かにマルタ島を脱出しサヴォイア王国へ密入国した。シチリア戦争が始まると、ヴィットリオは武装親衛隊を率いてトリノの宮廷へ乗り込みクーデターを決行。女王マティルディを殺害し(ヴィットリオの意図に反した親衛隊の暴走であると後に述べている)、HN王として即位を宣言。シェラルド王国に対し独立を求める宣戦を布告した。このとき、シェラルドの大陸軍は、ローマへむけ山と川とに挟まれたアレッサンドリア街道を長大な縦列で行軍しており、これを好機とみたヴィットリオは、サヴォイア軍や周辺の北イタリア諸侯から集めた義勇兵との連合軍を率いトリノを出立。最後尾を行く大陸軍第Ⅱ軍団へアスティ近郊で奇襲攻撃をしかけた。この戦闘は、第Ⅱ軍団が粘り強く抵抗したことで、準備期間に乏しく寄せ集めであったHN軍の攻勢を挫き退却させた。HN軍はトリノへ退却したが、天然の要塞都市トリノへ逃がしたくないエリックは、止む無くローマを諦め大陸軍を率いて転進した。無理な追撃はトリノへ続く山道でのゲリラ戦にあい被害を出したが、遂にトロファレッロで追いついた。HN軍はやむを得ず少なくない部隊を殿に残し、彼らの活躍によって辛うじてヴィットリオと本隊はトリノへ逃れた。市外戦を制した大陸軍は、トリノ包囲軍を残し再びローマへ進軍した。 第Ⅱ軍団はよく持ちこたえた。 イストリア戦線BU軍はローマを占領したものの、消耗も大きく一時停止した。その後、さらなる北上を試みたが、その間に、かつて教皇庁脱出作戦の際に、密かにこれに紛れ脱出したイタリア方面軍の一部が、市民や聖職者らの協力のもとローマ北部に長大な塹壕線を築いていた。BU軍は止む無く対抗して塹壕線を築いた。エリック率いる大陸軍も到着したが、お互いの強固な陣地の突破は難しく、数度の戦闘の末、膠着状態に陥った。これを打破するべく、エリックは北イタリアからクロアチア経由でのトラキア本土攻撃の作戦を立て、大陸軍第Ⅳ、第Ⅴ軍団にこれを命じた。これをトラキアは航空偵察で察知し軍団を派遣したため、ストリアで新たな戦線が築かれた。両軍はトリエステで接敵した。この戦闘は、シェラルドの戦列歩兵や胸甲騎兵とトラキアのローマ・カタクラフトとの、非常に奇妙な対決となった。緒戦は射程に勝る銃兵戦列が、ローマ兵を削りながら漸進した。しかし、鉄の結束を誇るカタクラフトの隊列は崩れず、いよいよ銃剣突撃が必要な間合いにまで迫ったものの、近接戦により優れた相手への突撃は不利と判断され、行われなかった。対するローマ側も、反撃のため少しでも前進し隊列を崩せば、すかさずシェラルド騎兵が突撃してくるため、睨み合うほかなかった。結局、剣俊なイストリアでは迂回もままならず、こちらでも膠着状態となった。 軍事研究科達に「最も奇妙な陸戦」と言わしめた。 第一次ティレニア海海戦シェラルド軍がイストリアへの迂回を計画したように、BU軍も膠着打破の計画を立てた。ローマ塹壕線後方のペスカーラへの上陸作戦である。しかし、この情報もまた、ナポリ兵に紛れた間謀によって齎され、シェラルド軍はこれを阻止すべく、マルセイユの地中海艦隊へ出撃を命じた。BU軍も艦隊を出撃させ、両者はティレニア海で衝突した。今戦争発の本格的な海戦となった。シェラルド地中海艦隊は、戦列艦21隻及び補助のフリゲート艦からなり、指揮官はコルーメディ提督である。対するBU艦隊はトラキア海軍が主体で、その構成はローマ式の三段櫂船であった。シェラルド海軍は陸軍の栄華に対しいまひとつであり評価が低かったが、この海戦では砲性能差を活かし三段櫂船をことごとく撃破する大活躍をみせ、ティレニア海海戦をシェラルド軍の勝利へ導いた。BU海軍はアドリア海へ撤退した。この報告をうけたHRE皇帝エリックは地中海艦隊を称賛し、コルーメディ提督へアドリア海への追撃を求めた。コルーメディは狭いアドリア海ではガレー船の方が有利とこれを一度は断るも、皇帝命令には逆らえず渋々出航した。地中海艦隊はアドリア海へ乗り込み、BU海軍とふたたび戦闘を開始した。戦列艦艦隊は無風の内海で機動性を損ない、対照的にローマ・ガレー船部隊は自らの庭を縦横無尽に駆け巡った。ときには四方八方からのラムアタックにより沈没し、ときには接弦からの白兵戦で船ごと拿捕された。またたくまに地中海艦隊は壊滅状態となり、提督を乗せた旗艦含め、わずか4隻のみが辛うじてヴェネツィアへ逃げ込んだ。アドリア海海戦はBU軍の圧勝となり、エリックは落胆した。 軍事研究家達に「最も奇妙な海戦」と言わしめた。 ペスカーラ上陸作戦シェラルド地中海艦隊の壊滅によって、もはやペスカーラ上陸作戦を阻むものはなくなった、BU軍はこれを決行した。大陸軍は止む無くこれの防衛にデレッセル元帥の第Ⅴ軍団を向かわせ、ローマ奪還のための戦力をさらに減少させた。制海権の確保により、潤沢な海上支援を得たBU軍は、あっさりとペスカーラに橋頭保を築き、第Ⅴ軍団は苦戦を強いられた。それでも老練なデレッセル元帥は沿岸に堡塁を築き、大砲を並べ粘り強くBU軍を押し戻し続けた。しかし、BU軍が拿捕したシェラルド戦列艦から堡塁に一斉射撃を行うと、兵士の士気は大いに損なわれてしまった。元帥は沿岸での防衛を不利と判断し、第55連隊にローマ塹壕線のさらなる延長工事を命じた。BU軍は激戦の末遂にペスカーラ市を奪取した。しかし、第Ⅴ軍団の抵抗により、このころにはペスカーラ郊外までシェラルド軍の防衛線は伸びており、殆ど徒労に終わってしまった。むしろ、この地点はナポリ方面の本隊から分断されたウィークポイントとして、後々までBU軍の負担となってしまった。 アドリア海で拿捕された戦列艦が牙を剥いた。 両都攻勢ローマ、イストリアでの対トラキア戦線の膠着をうけ、HRE皇帝エリックは攻撃目標の変更を計画した。すなわち、アナトリア軍を動員して敵同盟国モレラを叩き脱落させようというものである。これは直ちにアナトリア王国へ通達され、軍事総督ハシュタウゼンの命でアナトリア軍及び現地に駐留しているシェラルド軍が国境へ動員されギリシャ方面軍となった。司令官にはフィッツカラルド元帥が任命された。この軍によるコンスタンティノープル攻勢と合わせて、ローマへの総攻撃も決定された。これらは両都攻勢と銘打ち大々的に行われた。しかし、両都ともに一度の攻撃で陥落するほど柔ではない。BU軍は防衛に成功した。アナトリアとモレラは、コンスタンティノープルやエーゲ海諸島の帰属で揉めながらも、共通的レグルスやShVVsの脅威の前に、お互いに海軍戦力は出し渋った。 フィッツカラルド元帥は猛将で名を馳せた。 ガリポリ上陸戦第一次コンスタンティノープル攻撃が失敗に終わり、ギリシャ方面軍司令官フィッツカラルドは正面突破は不可能と判断し、ガリポリ半島へ上陸しての迂回、そしてコンスタンティノープルの包囲を上奏した。これを皇帝エリックは承認し、作戦は実行に移された。第一次ガリポリ上陸戦は、日の出と共に攻撃が始まり、これは夜間まで続いた。モレラ軍陣地からの無数の砲弾や銃弾の嵐の中、シェラルド第Ⅷ軍団は甚大な犠牲を払いながらも辛うじて僅かな橋頭保を築き、アナトリア軍と共に再三の突撃を敢行した。最終的に、モレラ軍のいくつかの塹壕を奪取したものの、日暮れには天候が悪化し、あまりに消耗も激しかったため最初の橋頭保地点まで後退した。モレラ軍もまた激しい砲撃船により補給の限界を迎えており、大規模な反撃は行えなかった。モレラ軍が奪回した塹壕は身元不明の死体で埋め尽くされており、この日の戦闘は後に「ガリポリの骨ミキサー」と揶揄された。天候の回復を待ち、第二次攻勢が始まった。この間にモレラ軍は補給を回復し、移動弾幕射撃を用いた反抗作戦に出るも、東部やイズミル方面から続々と引き抜かれ送り込まれて切るアナトリア軍の物量の前に押し返され失敗した。また、この戦闘で予備弾薬を消耗したモレラ軍は劣勢を強いられた。この日の戦闘で、オドラン大将麾下のアナトリア第Ⅰ軍は、まさに命知らずな突撃を見せた。いくら砲撃の手が緩んだとはいえ、モレラ軍の強固な塹壕と銃弾の弾幕は幾度となく第Ⅰ軍を押し返した。しかし、それでも士気高く突撃を繰り返す第Ⅰ軍の前に、遂にモレラ軍は内地への撤退を決断した。モレラ軍の塹壕内にも死体が積み重なり、最早防衛どころではなくなっていた。その後、フィッツカラルド元帥は予備のシェラルド軍を率い北上し、モレラ軍の小部隊を撃破しつつ、遂にコンスタンティノープルを包囲した。HRE皇帝エリックは「アナトリア兵。彼らこそ最も勇敢な男たちだ、ということを、臣民の誰もが知らなければならない」とその献身を絶賛した。 強固なモレラ軍陣地への突撃は多くの戦死者を出した。 コンスタンティノープル陥落とモレラの離脱モレラ軍はアナトリア=シェラルド軍を追い出すべく散発的に攻撃したが、どれも失敗に終わった。遂にコンスタンティノープルへの第二次総攻撃が始まった。このときの様子を、当時のコンスタンティノープル市民は「大砲の音が三日三晩鳴りやまなかった」と回顧した。そのような猛攻の前に、遂に千年帝国の首都の防壁も陥落した。また、同時期に、フィッツカラルド元帥は先の上陸戦に味を占めエーゲ海諸島への上陸も計画し、手始めにレスボス島へ軍隊を派遣した。この上陸作戦は成功し同島を占領。さらに、停泊していたモレラ艦艇数隻を拿捕するなど大戦果を挙げていた。こうした状況から、モレラ大統領はフィッツカラルドへ休戦協定を求める使者を送った。こうして、HRE=モレラ間で、コンスタンティノープルの和約が結ばれた。シェラルド=アナトリアは優勢であったが、モレラの早期離脱及び戦後の防共、防レ協力のため、寛大なものであった。モレラに求めたものは速やかなシチリア戦争からの離脱、そして占領したレスボス島と、同島で拿捕した艦艇の引き渡しに限られ、これに同意し両国間の戦争は終結した。これによって、戦線全域にわたり、少なくない数を担っていた同盟国から取り残されたトラキアは劣勢に立たされ、モレラを強く非難した。 コンスタンティノープルの和約。 モンカリオリの両王決闘コンスタンティノープルの和約と同じころ、HN暫定首都トリノでは、続く包囲戦により飢餓が発生しはじめていた。包囲にはリュッシュモン元帥麾下の大陸軍第Ⅰ軍があたっていたが、トリノの攻めづらい立地、また戦力の多くをローマやイストリアの戦線に引き抜かれていたこともあり、攻めあぐねていたため、包囲戦は長期化していた。ヴィットリオはBU軍の奮闘を頼りに籠城していたが、日に日に悪化する市民の健康に心を痛めていた。そこにモレラ離脱の報が届くと、限界を察し、最後の可能性に賭けることを決断した。翌日、トリノとポー川を挟んで対岸の都市であり、シェラルド軍陣地であったモンカリオリへ、ヴィットリオが単身で現れた。彼が指揮官リュッシュモン元帥に要求したのは、HRE皇帝エリックとの一騎打ち、つまり決闘であった。決闘の条件は、ヴィットリオが勝利すればHN(サヴォイア)はシェラルドから独立し、和平を結ぶ。エリックが勝利すれば、サヴォイアはシェラルドへ併合される。というものであった。いずれにせよHN戦線を早期終結させられる。という打算とは関係なしに、エリックはこの気概を買い決闘を受けた。場所はモンカリオリ城の中庭に決まった。エリックは愛用のサーベル、かつて初陣であったポーランド戦争において、彼が初めて殺した敵兵であったコサックから奪った記念すべき戦利品を手に。ヴィットリオは追放の際唯一携帯が許された、父の形見でもある、サヴォイア家に代々伝わる宝剣を手に向かい合った。公証人ド・フルーリ枢機卿のピストルの音を合図に両者の愛馬は歩みを始め、10歩を数えた頃には最高速度に達した。その瞬間、両者は交錯した。宙を舞うは二つの影。それが方やエリックの帽子であり、方やヴィットリオの頭部であることを観衆が理解するのに、時間はかからなかった。エリックは13歳の頃から騎兵として最前線で戦ってきた生粋の軍人皇帝であり、優勢は明らかだった。それでも臣民の為に、自らと同じように命を懸けた若き青年の勇気を湛え決闘を受け、一撃で苦しむ間もなく首を飛ばした。エリックはフルーリにミサをあげさせると、遺体を丁重に包み、ヴィットリオの従者へ引き渡した。トリノ市は降伏したが、ヴィットリオの勇気に敬意を払い、HN軍人は望むならばナポリのトラキア軍陣地へ逃れることが許された。 グロ注意 第三次ローマ攻防戦長らく膠着が続いたローマ戦線だが、ここにきてシェラルド軍はトリノの降伏により第Ⅰ軍がローマ戦線に合流したのに対し、トラキア軍はモレラ軍の撤退によって戦力が減少した。これを好機とみたエリックは、ローマ戦線銭機に対し総攻撃を命令した。今戦争三度目となるローマ攻防戦が始まった。ローマ占領以後も同地で戦線を支えた歴戦のトラキア第Ⅵ軍団はここでも粘り強い抵抗を見せ、ローマ市を防衛した。しかし、長大な戦線に対し戦力が不足しはじめ、遂にデレッセル元帥の第Ⅴ軍団がペスカーラを、ウールップ元帥の第Ⅶ軍団がティボリを占領し、戦線に穴が開いた。ローマから戦線の指揮を執っていたトラキア軍スカエウォラ大将は、遂にローマの防衛を断念し全軍へナポリへの撤退を命じた。長大な戦線からの総退却は、トラキア軍を追撃戦による殲滅という未曽有の危機に曝したが、大陸軍はこれを追うことができなかった。同時期に中華連邦社会主義共和国率いるシルカグラード包括軍事協定軍が、HRE領であるドイツへ侵攻したためだ。皇帝エリックはこれを迎え撃つべく大陸軍を率いドイツへ転戦せざるを得ず、追撃の為皇帝からイタリア戦線の指揮権を引き継いだウールップ元帥には、わずかに二個軍団とイタリア方面軍の残余、そして北イタリア諸侯からの徴兵軍のみが残された。足並みの揃わない追撃戦はあまり成果が出なかった。しかし、こうした事情はトラキアの背後でも起きていた。レグルス帝国が引き起こしたアフリカ大戦の勃発により、同君連合下のエジプト国家尾鷲帝国が攻撃を受けた。イタリア戦線との二正面作戦は困難と判断され、軍部は第Ⅵ軍団はじめ主力軍をまわすべく、彼らをナポリから撤退させる判断を下した。半島のトラキア軍は、一路上陸地点バーリ市への撤退を開始した。 遂にローマは奪還された ナポリ撤退戦と第二次ティレニア海海戦ウールップ元帥はローマから南下しナポリを占領したが、既にトラキア軍は既にナポリを発っていた。しかし、このとき両軍の距離はそこまで離れておらず、撤退戦を指揮するスカエウォラ大将は、ウールップ軍の予想以上の行軍速度をおそれ、愚直にバーリへ向かうのはリスクが高すぎると判断した。トラキア軍の進路はカラブリアへ変更され、目指すはシチリア島となった。ウールップは追撃にあたり充分に偵察を送り出してはいたが、これらはナポリ人ゲリラたちによって阻害され、トラキア軍の性格な居場所や退却先がなかなか掴めなかった。それでもバーリ方面にトラキア軍がいないことがわかると、カラブリアへあたりを付け強行軍で追いすがった。次第にトラキア軍のシチリア退却が各所に伝わり始めると、シェラルド地中海艦隊は再び出撃要請を受ける。カラブリアとシチリアは海峡を隔てており、退却には海上輸送が必須であった。これを巡り、シェラルド地中海艦隊とトラキア艦隊は、最後の海戦へ臨んだ。第二次ティレニア海海戦である。地中海艦隊は先のリベンジにこそ燃えてはいたものの、時間が足りず戦力を回復できていなかった。艦隊はアドリアの敗残艦と、サヴォイアから徴収したわずかな戦列艦、そしてジェノバやニース、マルセイユらで徴発した漁船まで含まれた寄せ集めであった。これでは第一次ティレニア海海戦のような華々しい戦果はあがらず、順当に敗北しツーロンへ逃げ込んだ。しかし、この間はトラキア軍はカラブリアで待機せざるを得ず、ウールップ軍はすぐそこまで迫っていた。トラキア艦隊は大急ぎで軍の輸送を開始した。全兵士の収容が完了した頃、郊外から大砲の音が轟いた。トラキア殿軍とウールップ軍とが接敵し、戦闘を開始した音だった。彼らは奮戦し、辛うじて輸送船が安全に港を離れるまで時間を稼いだ。彼らは全員が戦死か捕虜となったが、ウールップは勇敢さを湛え彼らを厚遇したという。このときの捕虜の一人は後に回想録を残し、「ウールップは港を去り小さくなってゆく船影を見つめ、悔しさから帽子を叩きつけていた。」と綴った。 帽子を叩きつけるウールップ元帥 終戦と講和 シチリア撤退戦以降、両軍は海を挟んでの睨み合いが続いた。お互いに戦争での消耗が激しく、さらに背後での戦争に忙殺されていたため、これ以上の戦闘に消極的になっていた。かねてよりローマ戦線の膠着を受けてトレントで停戦案をめぐる協議が行われており、折り合いがつかず難航していたが、ことここに至り、戦線が戦前へ戻ったことで両国は和平に前向きになった。両帝の意向を受け、トレント会議で作成された和平案は合意に至り、条約締結にふさわしい地へ届けられた。今戦争の契機となったシチリアの晩祈祷事件の地、パレルモである。トラキア皇帝が東欧戦争の指揮で出席できないエリックに代わり全権使節として訪れたヨーデリンゲ主席国務大臣を迎え、パレルモ講和会議が開かれた。条約の内容は戦前回帰で合意された。すなわち、シチリアはトラキアへ、ナポリはシェラルドへ、というものである。8月25日、正式にパレルモ条約が締結され、シチリア晩祷戦争は終結した。また、トリノ降伏後にトラキア軍へ合流し、シェラルドとの戦争を続けていた残存HN軍は、トラキア艦隊保護の下、マルタ島へ逃れた。彼らはマルタに亡命HN政権を立ち上げシェラルドに抵抗した。シェラルド=亡命HN政権間の休戦は遅れて9月5日、ナポリ=マルタ間の海上で、シェラルド戦艦プリオール艦上で締結された。この後にサヴォイアはヴィットリオの遺言に倣いシェラルドへ併合され、HN独立戦争も終結した。 パレルモ条約調印式 影響 戦後、トラキア領シチリアでは、汚職疑惑により罷免された前総督パウリヌスに代わり、新たにアンナエウス・プブリコラが就任した。新総督は反省からシチリアへ寛大な自治権を与え、島民の懐柔に努めた。これとは対照的に、シェラルドはナポリの反乱勢力を徹底的に弾圧した。ナポリ軍団兵はトラキアへ逃れたが、残された反乱へ協力した市民などは、逮捕されたり、財産を没収されたりした。かつて独立ナポリ軍団への兵力供出と引き換えに与えられていた自治権は剥奪され、新たに送られたナポリ総督の統治下で冬の時代が続いた。後にメーレンカンプ元帥がマクシミリアーノⅠ世としてナポリ王位を与えられてからは彼の下で独自の政府が創設されたものの、シェラルドの隷属下にあることは変わらず、散発的に反乱が続いた。マルタの亡命HN政権は、変わらずイタリアの支配権はHNにありと主張し続けたが、肝心の担ぐべき主君も王朝も失っていた。これはイタリアへ野心を向ける周辺諸国の、イタリアへの請求権をめぐる継承戦争の火種として残った。戦争の結果は、講和内容を鑑みて痛み分けの引き分け、という見方が主流である。しかし、ナポリの奪回や対HN、対モレラにおける戦勝を理由にHRE、シェラルド=アナトリアの勝利と見る者もいれば、エリックの当初のシチリア奪回という目標を果たさせず、長期にわたりローマを占領した点から、BU、トラキアの勝利だ、と見る者もいる。かつて33年間にわたり続いたシェラルド=トラキア間の蜜月は、今戦争で完全に終わりをつげ、後のクリミア戦争などでも、両者は対立を続けることとなった。 戦後イタリア統治はミラノ勅令で定められた。 関連項目 ● 東欧戦争● アフリカ大戦● クリミア戦争 参考文献 ● ページ名● ページ名
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住民権について コミュニケーションもままならない荒らしさんが多く出現しているため、 住民権制度を開始しました。 初めてのログインでは旅人の状態となり、観光をすることができますが 建築を行うことはできません。 建築を行うには、始まりの村のスポーン近くにいるNPCの指示に従って住民権を取得してください。 よく分からない場合はチャットにてご質問ください。 とりあえず建てたいという人は メインワールドはお金をためて土地を購入しなければ建設できません。 とりあえず建てたい方は、資材ワールドかFreeTownをご利用ください。 資源ワールドは建築や資源収集を自由に行うことができるワールドです。 始まりの街にゲートがあります。 資源ワールドは不定期にリセットされますのでご注意ください。 FreeTownとはプレーヤーが自由に自宅やお店をを持つことが出来る街です。 土地を買う必要もなくすぐに参加して建築できるので、最初の拠点を建築する土地として利用してください。 ギルド参加コマンド/f join FreeTownで街に参加し、建築をすることができます。 参加したあとにギルドホームコマンド/f homeで街までワープすることができます。 街は黄色い羊毛で囲われたお店用の土地と、その他の住宅用の土地があります。 建築の際は区切られた土地からはみ出さないように建築してください。 お金を貯める 何をするにもお金は必要! ガンガン稼ぎましょう 所持金の確認は/money 鉱物を売る 鉄ブロック、金ブロック、ダイヤブロック、石炭、レッドストーンパウダーは始まりの村の道具屋で売ることができます。 また、プレーヤーショップでアイテムを売買することもできます。 コマンド操作が必要いので、プラグインに慣れていない人はこちらの方法が始めやすいです。 職業についてお金を貯める。 職業に就き、行動することで給料が支払われます。 職業につくには/jobs join 職業名を使います。 例:/jobs join Miner 職業リスト 炭鉱業(Miner) 建築業(Builder) 削堀業(Digger) 林業(Woodcutter) 農業(Farmer) 猟師(Hunter) 漁師(Fisherman) 鍛冶屋(Weaponsmith) 土地を買う とうとうあなたの拠点をゲット! この世界では土地はギルド単位で管理されています。 そのため、土地を持つには新しくギルドを作るか、すでにあるギルドに入る必要があります。 下記の手順で土地が購入出来ます。 ギルドを作成(費用 100)新しいギルドを作る。/f create (ギルドの名前)すでに存在するギルドに参加するには/f join (ギルドの名前)で申請を送ったあとギルド管理者が/f invite [player name]で承認する必要があります。 ギルドにお金を預金土地の取得に必要な費用を入金する/f money d (金額) 土地を買う(費用 500+α)街の中や建築禁止エリア、すでに購入されている土地は買うことができません。購入できる場所はDynmapで色塗りされていない土地です。買いたい土地に移動し/f claimで現在立っている土地のチャンク(16×16)を購入出来ます。土地の価格は所持している土地の数に応じて250ずつ増加します。周囲の地図を表示/f map on地図を閉じるには/f map off ドラゴン便 この世界ではドラゴンに乗って街へ移動することができます。 コマンドでメインワールドのどこでもドラゴンを召喚することができます。 ドラゴンの召喚 コマンド /dt travel [行先] 行先を指定した場所までドラゴンで飛んで行けます。 登録されている宛先は/dt destlistで確認できます。 宛先の設定方法 注意!設定できる行先はギルドの町,村に1箇所のみです。行先の名前はギルド名をそのまま入力してください。 ルールを守って利用してください。 コマンド /dt setdest [行先] 上記のコマンドで現在地をドラゴンが到着する行先に設定できます。 設定した行先を削除する際は管理人までご連絡ください。 ギルドNPC ギルドに対し5人までNPCを設定できます。 NPCの名前の先頭に[ギルド名]を付けてください。 詳しい使い方は後日・・・
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終了しました。ご参加ありがとうございました。 この季節がやってまいりました... GW、企画開催です!!!!! ・4/28(土) ※予備日として4/29(日) 21 00より開催中 ※終了時間は参加人数によって多少変動します。 ↓↓↓参加方法は概要の下を見てね。↓↓↓ 概要 ゴールデンウィークという長い休暇がありますね。 折角なのでみんなで楽しめる企画を作ろうと考えました。 博覧会&抽選会でございます!!! 博覧会に関しては、ほぼマンネリ化というか みんな飽きてると思います。 そこへひとつまみ工夫を凝らした結果が"景品を用意する"ということなんですけども これもただの兵器.schematicやらworld.zipじゃつまらないので お年玉企画とは少し違いますが、ちょっとしたギフトを用意しました。 万年金欠の中で捻り出した予算なので足りるか分かりませんが楽しんでいただければ幸いです。 参加方法 その1. Discordサーバーに参加 その2. サーバーの#generalで参加した旨をお伝えください。 その3. 下記のコメント欄に国家名とDiscordで使用している名前を記入してください。 ※参加者の方には兵器やブースの提出をお願いしたいです。 兵器の場合:サイズ問わず ブースの場合:上限80x80x80 展示の都合上なるべく16の倍数が良いです。高さは80以下でお好きに。 サバイバルモードで全て回れることが条件です。各自はしごや階段で対応してください。 名前 コメント 内容 いたって普通の博覧会(参加者各自が作品を持ち寄る形)の開催 メインはこの後の抽選会です。 博覧会中に、各所に隠された抽選券を見つけて頂きます。 抽選券3枚と引き換えに3桁の数字が記載された、本抽選券1枚を差し上げます。 (抽選はディスペンサーを使用したランダム方式) 最後に3桁の数字を抽選で決定します。 お手元の本抽選券と合致した数によって景品を決定します。 3桁一致 3000円分のギフト(Amazon/Apple/Google) 下2桁一致 500円分のギフト(同上) 下1桁一致 RSTのページにあるお好きな兵器のschematicファイル 注意:不正な手段の利用が発覚した場合、抽選は無効。及びサーバーから退出していただきます。 ※ 各種抽選は手動で行います。 ※ 当選者がいなかった場合の再抽選は行いません。 ※ 自分が当選しなかったからと言ってどうこう言うのはやめてね。 ※ ソシャゲに課金してレアキャラ出ないのは自己責任だよ 制作/企画 RSTechnology | Teyodor Geffert(syacho37) コメント投稿以外の許可なき改変を禁じます!!
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まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
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※本記事をお読みになられる前に + ... 本記事にはプラグインが多数使用されており、@wikiスマホ版では正常に機能しない場合がございます。パソコン版での閲覧をおすすめ致します。 インド戦争(ひがしとるきすたんふんそう、英:India War)は、統一歴179年2月から、 ソビエト共産主義共和国連邦 (以下新ソ連)・ ルークリア人民共和国 ・大中華と、ルークリア国・ レグルス国家再生政府 との間で行われた戦争のことである。 開戦の直接のキッカケは、ルークリア国・ルークリア人民共和国国境の ガンジサガールダム を巡る戦闘がインド全域に拡大したことによる。この一連の紛争は、当初南北分裂したルークリア国家同士の境界線を巡る争いであったが、後に周辺諸国の思惑が交錯するものとなった。 インド戦争 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (中国 ウルムチ市.JPG) 戦争;インド戦争 年月日:統一歴179年 ~ 現在 場所:ルークリア国、ルークリア人民共和国、大中華、レグルス国家再生政府 結果:ルークリア国が大幅な領土割譲を強いられる。レグルス国家再生政府の崩壊。北ルークリア動乱の発生。 交戦勢力 ルークリア国 ルークリア人民共和国 レグルス国家再生政府 ソビエト共産主義共和国連邦 大中華 指導者 ルークリア国皇帝 イレーナ・レヴィンスカヤ・ルクレフ ルークリア人民共和国国家評議会議長 アドラー・ホーネッカー レグルス国家再生政府全国指導者 アンドレイア・レヴィツェンスク† ソビエト共産主義共和国連邦大統領 オットー・ジェルジンスキー 大中華総統 王雨石 戦力 損害 背景 + ... ルークリアの東西分裂 情勢 パキスタン戦争以降、インド亜大陸はルークリア国と、新ソ連が支持するルークリア人民共和国によって南北分裂状態にあった。これは第三次東地中海戦争やガルシア内戦の結果、地中海政策で大きな成功を収めた新ソ連が返す刀でインド洋での勢力拡大を希求したことに要因があった。新ソ連は対OFC、特に大ヒトラント帝国を強く警戒しており、国内情勢のため身動きが取れない同国が対応するよりも早くOFCが勢力圏とするインド洋に楔を打ち込むことを望んでいた。この結果がペルシア侵攻・パキスタン戦争・ルークリア内戦における新ソ連の動きであり、新ソ連の意向を強く受けたルークリア人民共和国はルークリア国との対決姿勢を強めた。これに応える形でルークリア国も態度を硬化し、インドでは戦争一歩手前の緊張した状態が続いた。 インドの分裂状態。赤が人民共和国、黄色がルークリア国を表している。黒は新ソ連の支配地域。 ガンジサガールダム地帯 ガンジサガールダムはルークリア国領プラデーシュ州に存在する重力ダムで、パキスタン戦争の結果ルークリア人民共和国との国境のすぐそばに位置することになった。ダムは116MWの発電能力を持ち、貯水池は漁業資源と農業用水を提供した。パキスタン戦争の終戦条約であるエスファハーン条約では電力・水資源は戦前と同じ割合で人民共和国領となった州にも供給されることが約束されていた。 しかしルークリア内戦が勃発するとルークリア人民共和国は新ソ連軍とともにルークリア国へ侵攻、協定は自動的に破棄された。ルークリア内戦ではルークリア人民共和国軍は大敗を喫し戦前のラインへの撤退が定められた。しかしルークリア人民共和国は介入中に行われたガンジサガールのラジャスタン州への併合宣言を根拠に停戦後もガンジサガールダム地帯への駐屯をつづけた。 これに対しルークリア国は内戦終結後新ソ連に対し複数回の抗議を行った。この動きに対し新ソ連はルークリア人民共和国側の問題であると返答を拒否し人民共和国に抗議するよう伝えたが、人民共和国を国家承認していないルークリア国には不可能であり、またこの回答を以てルークリア国は新ソ連・人民共和国に解決の意思なしと解釈した。 衝突への発展 対話による解決が不可能であると結論付けたルークリア国は軍事力による解決を志向した。ルークリア国はパキスタン戦争・ルークリア内戦で新ソ連軍に敗北を喫しているが、ルークリア国参謀本部は奇襲的に大戦力を投入し局所的な短期決戦に持ち込めば勝機は十分にあると考えた。ガンジサガールに駐留する部隊は新ソ連軍よりはるかに弱体な人民共和国軍であること、新ソ連が度重なる総力戦により継戦能力を失っており、占領を既成事実化すれば新ソ連は反撃できないとの考えがこの根拠とされた。 ルークリア参謀本部は179年1月10日に作戦計画を政府に提出し14日に承認された。作戦開始は一か月後の2月17日ガンジサガール周辺の部隊が秘密裏に動員され輸送が行われた。 一方新ソ連の諜報機関内務省特別調査委委員部(SID)はパキスタン戦争以前からの諜報活動によってこの動きを動員数、開戦予定日まで含め完全に察知していた。SIDは新ソ連政府にこれを通報した。しかし新ソ連の反応は極めて鈍いものだった。ルークリア内戦の介入失敗によって新ソ連政府は当面のインド統一をあきらめており関心が低く、加えて汚職事件であるミケランジェロ・ゲートによって現職大臣が批判の矢面にさらされていたためそちらの対応に躍起になっていたためである。新ソ連政府は政府としての対応を放棄し、ルークリア人民共和国軍と在印新ソ連軍司令部に対応を一任した。 対応を丸投げされる形になった在印軍と人民共和国軍だったが、ここで両者は結託し新ソ連政府にも内密に奇襲先制攻撃を計画した。これは敵が集結する前に先制攻撃を仕掛ける方が望ましいという軍事的な理由以上に、新ソ連から軽視された部署として成果を出し存在感を示すという目的があった。 戦争の経過 ガンジサガールの戦い 179年5月21日、在印新ソ連・人民共和国連合軍がガンジサガールの軍事境界となっていた線を越え集結途上であったルークリア軍に対し先制攻撃を仕掛けた。新ソ連軍らの集結を認識しつつも自身が先制攻撃を加える側であるという意識があったルークリア軍は完全な奇襲を受けた形になった。連合軍は装甲戦力でもって混乱状態のルークリア軍を蹴散らし前線司令部が存在すると推定されたランプラ村へ南下した。 地図左下にランプラ村。ガンジサガールダムから25kmの距離にある。 しかしながら連合軍の進行は予想以上に早く立て直したルークリア軍によって押しとどめられることになる。編成されたばかりのルークリア人民共和国軍の装甲部隊は練度や装備の運用能力が低く戦闘能力が急激に低下した。新ソ連軍部隊はその限りではなかったが、5月24日のブースでの戦闘後進撃を完全に停止することを余儀なくされた。 26日には立て直しを完了したルークリア軍による反撃が開始された。しかしこの攻撃もまた新ソ連の自走砲による阻止砲撃によって頓挫を余儀なくされた。ルークリア軍の砲兵戦力が新ソ連軍によって迅速に排除された一方で、ルークリア軍は自走砲の排除に失敗した。砲兵火力の有無はキルレシオに明確な結果を示し、連合軍の死者一人当たりルークリア軍は5人以上の戦死者を出した。 お互いに攻撃が失敗した後、戦線は小康状態になった。両陣営にとってより重大な戦線が形成されたためである。 デリーの戦い 双方が短期決戦を志向し、失敗したガンジサガールでの紛争は予期せぬ箇所に火種を生んだ。人民共和国・ルークリア国によって分断されていたデリーでは以前から人民共和国支持者と帝国派の市民の間での衝突が散発していたが、ガンジサガールでの事件が報じられると両者の対立は急速に激化した。市民は素朴な皇帝信仰や人民共和国の無神論に対し反発するものも多かったが、社会主義者や百合主義時代に迫害されていた男性市民など人民共和国に加担するものも少なくなかった。またデリーでの両国の境界線は他の地域と異なり都市の真ん中を貫いていたことから市民の多くは小道や地下通路から出入りを自由に行っており、これが市民同士の対立を激化させる要因となった。 デリーでの戦闘の直接の契機となったのは6月2日の百合主義者によるデモ行進だった。このデモ行進によって商売を邪魔された露店商人の男性がデモ隊と口論になり、男性は死亡した。この事件がデリー中で報道されるとデリー市民の間での対立は臨界に達し完全な無秩序に陥った。なおこのデモ行進は新ソ連の情報部によって煽られたものとする見解も存在するが、新ソ連政府が機密情報として開示を拒んでいるため真相は明らかではない。 無秩序に陥ったデリーに対しルークリア国軍・人民共和国軍はお互い治安の回復を名目に軍を投入した。 帝国の密かな東トルキスタン独立支援にも関わらず、三月蜂起以前は、未だに政府・宮廷内では東北方への進出には慎重論が根強った。それは経済・軍事的に強大な東アジア諸国、特に中華連邦共和国に対抗することは容易ではなく、我が国も相応の被害を受ける可能性があることを暗示していた。そうした中で、新ティムール主義の過激性を見直し、善隣的な外交と交易で内需を満たすことを模索するべきと主張する意見も穏健派を中心に散見されるようになる。特に、アルマトイからウルムチへの国際鉄道敷設を包含するAORTO計画を積極的に推進してきた運輸省大臣パウロー・クロフはこうした新ティムール主義の過激性をダショグズ毎日新聞の特別コラムにて「イブン・イル・アオルソイは平和の鉄道橋に火を点けようとしている(※)」と揶揄し、物議を醸したこともあった。イブン・イル・アオルソイはこうした状況を快くは思わず、自著『アーミルの栄光(ウズベク語 Amirning Shon Sharafi)』の中で、新ティムール主義に反発および妥協的な主張を行う者を《国賊》《アンチ・インペラリスト(反帝国主義者)》と批判している。 また、アクサイ地区を管轄するアストラハン・タタール人傍系の貴族であり、尚且つ辞職した前宰相アブドール・エジェヴィトの甥にあたる、ニコライ・ニガール・アストラがイブン、レフ・アヴィサロヴィッチ・ボラーゾフ両宰相が地方視察で不在の間に突如申し出も無く皇帝ミーラーン・ティムール2世に拝謁し、イブンを『職権濫用を繰り返し、国家破滅を導く悪魔』と称し、彼の宰相職からの罷免を建言する事態へと発展する。(ニコライ上奏事件)ニコライは近代化による市民の台頭により既存の権利が脅かされることに強く反発していた保守派の一人であり、またアブドール・エジェヴィトの辞職と死亡の理由がイブンやレフの専横にあると見て彼らに対する恨みを募らせており、そうした背景から、市民側を支持するイブンに対する批判を常日頃から喧伝していたことで有名であった。通常であれば、許可も無く帝宮内に部外者が侵入することは帝室法により違法と定められていたが、ニコライは前皇帝バイカラ・ルフ1世と何度も舞踏会や式典に召還される程関係性が良好であり、その息子であるミーラーン・ティムール2世にもニコライの聡明さは一目置かれていた為、ミーラーン・ティムール2世は突然の来訪でさえ、そうした背景から不問としたとされている。本来、皇帝への謁見の申し出は事前に宰相側にも通達される為、以前からイブンはこの特権を用い、自身や自らの施策に不利な証言を行うと目される人物の皇帝及び皇族への謁見を皇帝の代理人として拒否或いは許可を見送ってきたが、ニコライは状況を知った上で、宮廷内での新ティムール主義穏健派や反イブン派の貴族や官僚を贈賄等により味方に取り込み、彼らの支援をあてにすることで秘密裏に皇帝へと謁見を果たすことに成功した。ニコライはイブン・レフ両宰相の罷免に賛同する各有力者の署名が書かれた書簡と嘆願書、加えてイブンが関与したとされる数々の不法行為を列挙した書類を奏上し、「イブンの罷免さえ叶えば、自らの進退を明け渡す覚悟」として皇帝ミーラーン・ティムール2世に懇願した。しかし、イブンを信任の下で登用し、また新ティムール主義の施行を強く支持してきたミーラーン・ティムール2世はこの懇請に深く難渋し、結論を一週間後に先送りするとニコライに伝えた。ニコライは再三迅速な決断を仰いだが、皇帝に拒絶された為、致し方無く帝宮から退いた。この間にイブンの下へ、帝室に仕えていた親イブン派の侍従から事態の全容が伝えられ、彼は対応を練る為にすぐさま飛行機に搭乗し、サマルカンドに戻った。 (※:鉄で作られた橋に火を点けようと計画している点から、「政策の無意味さ」や「平和的に築かれた産物は決して崩れない」ことを暗喩している。) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ニコライ.jpg) バイカラ・ルフ1世の時に開催された舞踏会でのニコライ・ニガール・アストラ(写真中央) 帝都へと帰還したイブンは、まず宰相職辞任を皇帝ミーラーン・ティムール2世に具申し、直後に彼はすぐさま自らを枢密院書記官長へと任命するよう枢密院へと仰いだ。書記官長とは、皇帝への諮問委員会である枢密院に於いて、議事録を製作し、記録を皇帝へと直接上奏することを役務とする高位官職で、書記官や顧問官全てをまとめあげる顧問官長よりも大きく皇帝への関与が可能である点から、以前より《エセ宰相》と呼ばれる程権力が強かったが、かつて書記官長であったアブドール・エジェヴィトが前宰相に昇進したことからかねてより空位となっていた。イブンは宰相職を形式的に辞任することで政府内外へのアピールを行いつつ、書記官長の地位に就くことで皇帝に対する影響力を保持しようと企んでいた。しかし、既に枢密院内の委員の一部にはイブンに懐柔された者がいたとはいえ、外部からの書記官長立候補は前代未聞で、院内ではイブンに対し批判的な意見が多かった。しかし、彼に対し大きく信頼を寄せる皇帝ミーラーン・ティムール2世が新ティムール主義推進の為にこれを支持したことで、院内ではイブンの登用を認めざるを得なくなった。 書記官長として職務を再開したイブン・イル・アオルソイは、ニコライ上奏事件があった当時、ニコライ・ニガール・アストラが皇帝へ「宰相辞任の代償に己の進退を明け渡す」との発言をしたことを引き合いに、皇帝ミーラーン・ティムール2世にニコライ含むアストラ家が所有していたアクサイ地区の領地没収を決定させた。また、奇しくもこの時、ニコライが秘密裏の皇帝謁見を画策するべく宮中の貴族・官僚に贈賄を働いたことが発覚し、「不法行為を用いて皇帝を欺こうとした」としてニコライはサマルカンドにて銃殺刑に処され、彼の親族は全てアフガニスタン省ヒンドゥークシュ山脈への左遷が命じられた。また、イブンはAORTO計画推進派、親中派、新ティムール主義に妥協的であったパウロー・クロフを「アルマトイ=ウルムチ間の鉄道敷設に伴い、外国企業を意図的に斡旋・優先し、著しく自由市場を阻害した」と捏造し、競争法違反で運輸省大臣から更迭させるなど、多くの反イブン派・反新ティムール主義者、或いはニコライ上奏事件の際にニコライが持参した書簡にサインしたイブン罷免の賛同者を罪状捏造や過去の経歴を引用して、処刑・懲役・左遷・国外追放などで一斉に排除した。結果、政府・宮廷内には表立って彼を批判出来る人物は存在しなくなり、彼の影響力は日増しに増大した。 統一歴135年3月30日にLIATによる武装蜂起発生が帝国へと報告されると、皇帝ミーラーン・ティムール2世は新ティムール主義の正当性を改めて再認し、彼の支持と宰相レフ・アヴィサロヴィッチ・ボラーゾフの両名の推挙により、イブン・イル・アオルソイは書記官長の職から再び宰相の地位へと舞い戻ることとなった。イブンはLIATの武装蜂起を歓迎する声明を発表しつつ、もしLIATの内紛が長期化し、東トルキスタン住民の中でトゥルケスタン帝国への亡命希望者が確認された場合に備え、そうした亡命の全面解禁と亡命後の政府による保護、就労支援を公的に確約した。また、彼は軍部と密かに会談を進め、LIATへの支援拡充と事実露呈を防ぐ為の徹底的な情報統制を密約した。 そして、3月31日午後に中華連邦共和国軍がLIATに対し決定的な敗北を期したという事実は帝国を震撼させた。経済・軍事的に圧倒的優位にあると評価されていたはずの中華連邦共和国が一部の兵士の離反を含め、脆弱な対応を見せたからである。こうした事実は政府・宮廷内に於いて、中華連邦共和国への軽蔑の拡大と新ティムール主義の先鋭化に拍車をかけた。(一部の専門家の間では、『このような帝国内での慢心の蔓延が超法規的な早期の開戦の原因となった』と主張されている。) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (政治の図式.png) トゥルケスタン帝国の政治の簡単な図解。尚、宰相は不在でも執政は可能である。 ティムールの関与発覚とその反応 ところが、4月2日になると状況は一変した。中華連邦共和国やレグルス第二帝国を含むトゥルケスタン帝国に敵対する複数の国家の各報道機関・報道会社に、『本事件のトゥルケスタン関与について』と評された手紙が入った封筒や電子メールが一斉に送りつけられた。内容は要約して、以下の通りである。 LIATの武装蜂起は、ティムール朝トゥルケスタン帝国の工作によるものである。(中略)トゥルケスタン帝国はトゥルケスタン陸軍を用い、民間総合商社“アルタミラ商会”の関連企業である《ラスコー》を通じて、LIATに武器提供および貸与、また国際銀行である■■■■■[※]を通じた遠隔的な資金援助を行い、その見返りとして、独立達成後において「トゥルケスタン人と東トルキスタン住民の対等化および就職・移住・公務従事の許認可」などの諸条件の許可と中華連邦共和国新疆省での情報提供をLIATに指示している。 ――『本事件のトゥルケスタン関与について』 ※:この部分は原書でも特殊インクで黒塗りされていた。 当初、中華連邦共和国など各国当局はこの匿名の便箋に懐疑的であったが、この手紙が発見される約6時間前に、LIATに対する情報収集にあたっていた中華連邦共和国の兵士数名が新疆省カラマイ市内のホテルにて殺害されており(カラマイ暗殺事件)、その報告と共に現場にトゥルケスタン帝国陸軍が正式採用していた5.56x45mmライフル弾の空薬莢数個や、戦闘靴γ型の跡が発見されたことが報じられると、中華連邦共和国はトゥルケスタン帝国に対し、非常に強い抗議の念と共に、関係者への強制捜査を行うと表明した。 一方のトゥルケスタン帝国は一時この発表に沈黙を貫いていたが、数時間後の官邸報道長官アジム・ハン・デュマガリエフの緊急記者会見を通じ、LIATへの関与を全面的に認める発言を行った。デュマガリエフ報道官は「同胞を助けることの何が悪いのか?」と公言したが、カラマイ暗殺事件に関しての関与は否定を繰り返した。 また中華連邦共和国の強制捜査への報復として、トゥルケスタン帝国首都サマルカンドに駐在していた中華連邦共和国大使館の職員総勢50名をルクレフ経由で送還し、またトゥルケスタン帝国軍は中華連邦共和国・ルクレフ大公国・イラン高原にそれぞれ国境警備隊に変わり、陸軍各方面隊を進駐させる決定を下した。 トゥルケスタン帝国の発表の数時間後に、LIATの指導者鍾輕民はインターネット上で声明を発表し、「同じテュルク人として、英断を誇りに思う」と発言した。 4月15日、トゥルケスタン帝国空軍JF-92 ヴェオッサからなる第二航空中隊《ハディード・アル・ザカート(日:鋼鉄の喜捨)》は、中華連邦共和国新疆省領空を高速で侵犯し、国境に隣接する塔城基地および当該基地に駐在していた第7歩兵連隊戦闘団を二度空爆した。 トゥルケスタン帝国は、攻撃の数分前に、中華連邦共和国に対し「中華連邦共和国およびその同盟国に対する開戦の宣告」とされる宣戦布告の電報を送り、国境に配備されていた第1・2・3方面軍が侵攻を開始した。またトゥルケスタン帝国の要請に基づき、スィヴェールヌイ諸島共和国・極東蝦夷共和国・イェリング朝シェラルド王国が、中華連邦共和国の要請に基づき、レグルス第二帝国・ルクレフ大公国が参戦を表明した。(この開戦を以て、東トルキスタン“戦争”が始まったとする意見もある。) 宣戦布告に際し、中華連邦共和国は宣戦布告受理の確認が遅れ、トゥルケスタン軍の塔城攻撃直後にそれを受理したことを引き合いに、「トゥルケスタン帝国軍による塔城空爆は、事前通告も無しに行われた重大な背信行為である。」との見解を表明した。 また、3月30日にトゥルケスタン帝国シンド州州都カラチに於いて、ルクレフ大公国籍の果物商のタミル系50代男性が市民との口論の末、殴打されて死亡するという事件が発生しており、トゥルケスタン帝国警察は事件を隠蔽したが、開戦後にその事実が発覚するとルクレフ大公国は強く反発し、ルクレフ国内の世論が一挙にトゥルケスタンに対する徹底交戦へと傾いた。 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (images.jpg) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (JF.png) 空爆により炎上する塔城基地(市民撮影) 演習時のJF-92 進軍 中華連邦共和国への侵攻 中華連邦共和国国境から侵攻したトゥルケスタン軍は、M型主力戦車などを中心とした機動性の高い部隊編成(機甲師団)による電撃戦から戦線突破を始めた。トゥルケスタン軍が電撃戦を選んだ理由としては、 ●応戦に現れる中華連邦共和国軍の本隊が到着する前に東トルキスタンを確保し、経済及び軍事面に於いて優位に立つ中華連邦共和国に対し、早期決戦を政府と軍部が望んだ説。 ●敵軍を効果的に攪乱・分散させ、LIATと協力し各個撃破を意企した説。 ●ウルムチやカラマイ、新疆三大産油地などを早期に確保することで、中華連邦共和国の弱体化及び自軍の継戦能力の強化を意企した説。 などが、戦後にカルロ・アオスタ、湯龍宗、リリック・エンデヴァーらによって指摘されている。特にカルロ・アオスタは自著『アジアの黎明(L'Alba Dell'Asia)』(統一歴161年 Zanichelli Editore S.p.A.)に於いて、 「トゥルケスタン帝国の軍事及び政治的行為は(中略)大半がLIATへの信頼と希望的観測、中華連邦共和国への明白なライバル視が根底に存在していた。」 と言及している。事実、トゥルケスタン帝国は民兵に過ぎないLIATにバインゴリン・モンゴル自治州の輪台県など占領地の一部の行政権・治安維持委任で合意しており、LIATの指導者である鍾輕民を戦時中にアルマトイに親征していた皇帝ミーラーン・ティムール2世に謁見させている。これらの行為は、東トルキスタンで大きく支持を得ていたLIATを帝国に取り込むことで、支配地域での融通を利かせ、戦中・戦後の統治に大きく寄与させようとしていたことを意味する。また、LIATはトゥルケスタン帝国という強大な後ろ盾を得たことで支持を更に拡大させ、民族自決への更なる確証とLIATへの信頼を新疆省内外のテュルク系住民達に持たせようと考えていた。(戦後、ミノリニア王国に亡命した元LIAT参謀畢氾偉が口頭記述した『LIATとは』{統一歴156年 หนังสือไหม}による。) トゥルケスタン軍は、戦前より既に整備されていた中華連邦共和国の野戦陣地を回避或いは陽動の為、空爆から戦闘が続いていた搭城からの侵攻ではなく、タジキスタン省に接続するカシュガル地区の南西、ヤルカンドからの侵攻を計画した。これは電撃戦の実行にあたり消耗を最小限に抑える為であり、パミール高原に内包される南タジキスタン方面の侵攻は、越境後のタクラマカン砂漠での補給路確保の難点などから現実的ではないとする既存の戦略の裏をかく意図があった。この為、トゥルケスタン軍は侵攻後はヤルカンド川や各所のオアシス確保を最優先事項と捉えていた。また、カシュガル地区侵入後のトゥルケスタン軍は、中華連邦共和国軍の包囲網を完成させる為の高所確保を優先すべく、ヤルカンド到達後はヤルカンド川沿岸を伝ってキルギス省境へと北進し、新疆省の省都カシュガル市を含む一帯(第一包囲網)とアクス地区を越えた先のイリ・カザフ自治州一帯(第二包囲網)の包囲を急いだ。 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (初戦 地図.jpg) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (M型主力戦車.png) 初戦の図解。青はヤルカンド川 M型主力戦車 ルクレフへの侵攻 中華連邦共和国との戦端が開かれたのと同時に、トゥルケスタン帝国軍はルクレフ大公国への侵攻を開始した。トゥルケスタン軍はパキスタン省シンド州ターパーカル市からルクレフ大公国グジャラート州へと幹線道路を用いて侵攻する計画を実行した。トゥルケスタン軍がグジャラート州侵攻を立案したのは、グジャラート州が存在するサウラシュートラ半島(カーティヤワール半島)や半島南方のカンバート湾(カンベイ湾)で豊富に産出される原油と、ルクレフで石油科学製品生産の約7割・医薬品の約4割を占める当該地の石油精製施設(精油所)、またはそこからルクレグラード(アジメル)へと伸びる石油パイプラインを早期に支配下に置くことで、トゥルケスタン帝国自身の継戦能力向上やルクレフ大公国弱体化を画策した為である。 侵攻後、グジャラート州南西部の町ラクパトにて両軍は会敵した。敢えて侵攻を夜間に遅らせたトゥルケスタン軍は、既に町内にて待機していたルクレフ陸軍第二軍第5歩兵師団第3-5大隊、祖国防衛隊民兵第28師団第3大隊への急襲を敢行した。(ラクパトのアナグマ作戦)攻撃は功を奏し、ルクレフ陸軍は東南方へと敗走した。 トゥルケスタン軍はブージへと南下した後、進路を西方へと変え、アンジャル、そして地方都市ガンディダムへと進軍を続けたが、ラクパトにて敗走したルクレフ陸軍第二軍第5歩兵師団第3-5大隊、祖国防衛隊民兵第28師団第3大隊が第二軍第5歩兵師団第4ー8大隊と合流したことで戦線を再構築しており、ガンディダム郊外でトゥルケスタン軍の進軍を防ぐことに成功する。ルクレフ軍は急遽戦線の押し戻しの為、敵軍の中央突破を計画し、アフマダーバードより急行していた第4軍第1軽戦車師団の到着後、侵攻直後にて防御体制の不完全なトゥルケスタン軍を強襲した。ガンディダムではルクレフ空軍による戦術的な爆撃や激しい市街地戦が多数繰り広げられ、市民・兵士に多数の犠牲者を出しながらも猛攻を続け、一週間後、遂にガンディダムを奪還した。 その後、トゥルケスタン軍とルクレフ軍はガンディダムを挟んで対峙し、局所的な戦闘はありつつも基本的に双方の攻撃は少なく、戦線は膠着状態に陥った。 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (グジャラート侵攻図.png) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (夜戦.jpg) グジャラートへの侵攻(赤:トゥルケスタン、青:ルクレフ) 「ラクパトのアナグマ作戦」でのトゥルケスタン陸軍砲兵隊 中華への快進撃 第一・第二包囲網を造成したトゥルケスタン帝国軍は、包囲網内にて防衛を迫られる中華連邦共和国陸軍の迅速な殲滅を計画し、4月23日13時より二度に渡る降伏要求を呈示したが応じなかったとして、明朝7時56分より包囲網への一斉進軍を始め、8時33分に包囲網内の中華軍と交戦した。(「イリ盆地の戦い」「ジュンガリアの戦い」)この計画は、天山山脈・ボロホロ山脈を越え、ポロヴェツ草原(キプチャク草原)での勢力を東方に伸張させようとの意図で「ポロヴェツ草原拡大作戦」と呼ばれた。戦いは熾烈を極めたものの、29日には第二包囲網が、30日には第一包囲網での中華軍殲滅に成功し、トゥルケスタン陸軍・空軍は大勝を収めた。これら戦勝は軍部だけでなく、帝国内の世論にも好印象を与え、更にトゥルケスタン軍の進軍を加速させる一因となった。しかし、一方で大量の中華軍所属の捕虜や負傷者を抱えたトゥルケスタン軍は出費増大を危惧し、アクス郊外にて捕虜とした中華軍兵の大半を銃殺し、「アクス大虐殺」とされるジェノサイドを行ったとされる複数の証言がトゥルケスタン軍兵士や地元住民から上がっており、中華連邦共和国では包囲網での自軍壊滅・大量虐殺の事実が(戦中では減退を防ぐ為に情報統制されていた)戦後露呈すると、新聞メディアを中心にこの一連の期間のことを「血の四月」「ブラッディ・エイプリル」(繁体字:血腥的四月)と呼ばれるようになる。 包囲網解消を受けたトゥルケスタン軍は侵攻を加速させ、5月初旬に中華連邦共和国軍によって防衛線が引かれていた州都ウルムチに到達した。開戦直後からのLIATによるゲリラ的戦法が功を奏し、トゥルケスタン軍到達からわずか1週間強でウルムチは陥落した。中華連邦共和国軍がこれ以上の応戦はトゥルケスタン軍による各個撃破に繋がると考え、継戦能力回復の為に防衛線をウルムチから甘粛省西部の省境にまで後退させたことも要因となり、トゥルケスタン軍は5月15日までに新疆省全域を占領することに成功した。ウルムチ占領が国内に伝えられると、アルマトイに親征していた皇帝ミーラーン・ティムール2世の賞賛と祝福の思し召しが全国に報じられ、また、宰相イブン・イル・アオルソイによって戦線に居る全ての兵士への更なる国民の奉仕が要請された。 甘粛省へも攻撃の手を伸ばしたトゥルケスタン軍ではあったが、主力戦車を基軸とする機甲師団による電撃戦の展開は新疆省や甘粛省等の広範囲に渡った為、進軍速度に補給線構築が間に合わない状況が頻発していた。特にウルムチ陥落以降は特にその傾向が顕著となり、軍部内でもそれに関して「浸透を弱め、補給線構築後に再開すべき」との意見も上がったが、中華連邦共和国との短期決戦を望んだ将校が多数派を占め、また、今まで醸成されていた東アジア諸国へのライバル意識を背景に、戦争での自国優勢が各種メディアによって積極的に報道された煽りを受けて、世論の過激性が日増しに強まっており、軍部も引くに引けない状況となっていた。 停滞と憂慮 宣戦布告直後からの快進撃を続けていたトゥルケスタン軍は新疆省占領以後、急速にその勢力を弱めることとなる。中華方面での兵站の杜撰さが前線の浸透力低下に起因し、したがって甘粛省との省境での中華軍の防衛線突破に至らなかったことと共に、軍部の想定以上のルクレフ方面の苦戦が重なった為である。トゥルケスタン軍は戦線膠着による長期戦は国力差の為に不利であると憂慮し、大幅な戦争目標変更を余儀なくされた。 まず、軍部は中華方面での侵攻を中止した。その後の中華軍の反抗を予期して、確保した要塞や基地を利用し、陣前減滅を目的として省境に沿った防衛線「ダールル・イスラーム・ライン」を敷いた。名称のダールル・イスラームとは「イスラムの家」と訳され、伝統的なイスラム教での価値観として「イスラム圏」とその他地域を区別するものとして表される。この場合は、トゥルケスタン帝国側が正統なイスラム国家圏で、中華側が戦火に明け暮れる異教の地としての境界線を示したとされる。 また、ルクレフ方面では継戦目的のグジャラート州掌握を断念し、パンジャーブ州→ハリヤーナー州→デリーの順で重要拠点・都市を征服し、ルクレフとの早期決戦へと指針を変更した。これに基づき、グジャラート方面を担当する戦力全てを一時再編し、戦線維持の為の最低限度の部隊を除き、大半をパキスタン省北西部の中心都市ラホールへと集結させた。 しかし、状況は芳しくはなかった。トゥルケスタン東方方面軍は、中央軍部からの要請で兵站が途切れた甘粛省内の戦線から北パキスタンへと大軍を移動させる他無かった為、帰路で兵士の餓死者が続出し、また、燃料の補給もままならず、多くの軍用車両が途中で打ち捨てられた。こうした状況での士気低下は著しく、占領下の都市では、5月中旬以降トゥルケスタン軍兵士や関連した人物による犯罪件数が急増した。当時の陸軍司法科直属の国家警察団本部長アクバルショ・ツルスンゾダは、陸軍大将アル・イチケリア・ザハーロフに対し、混乱した指揮統制を是正し、軍律による厳格な占領地の統治の要求を進言するほどに事態は切迫していた。しかし、軍部は戦略的勝利が戦局や士気を好転させると信じ込んでおり、事実、戦中に開催された第20回ティムール朝独立戦勝記念日に於いて、軍代表を務めたアル・イチケリア・ザハーロフは「勝利こそが戦争を牽引する」旨の演説を行い、その態度を鮮明化させている。 大きな損害を出しつつも、トゥルケスタン軍は部隊再編宣言後の1ヵ月後には北パキスタンに集結した。ここには第一皇太子ハーシムも兵士達を鼓舞する狙いで視察に訪れており、ムルターン―イスラマバード―ペシャーワルと各地を転々と巡り、このことは大手メディアによって大々的に報道された。このように、トゥルケスタン軍のインド決戦への用意は相応の兵力と政治的・軍事的両面の協力を以て実施されたものであり、パキスタン省パンジャーブ州行政管区役所の公式統計では、トゥルケスタン軍のみでも1/3にあたる兵力が集結し、多くの物資や人員が集積されていた。一方でこの極端な再編活動が戦略的に重要視されていなかった南パキスタンの手薄さに起因し、結果として次のカラチ強襲を招いたとする説も提唱されている。 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イスラマバードへの輸送.png) デリー侵攻に向け、補給品を積み、アフガニスタン州の山岳地帯を通行するトゥルケスタン陸軍 不意打ち トゥルケスタン軍の対ルクレフ大規模攻勢の凡そ1週間前、加えて皇帝ミーラーン・ティムール2世生誕の翌日6月7日午前1時50分、突如、中華連邦共和国海軍主力部隊がカラチ近海に出現し、インド洋上での哨戒任務にあたっていたスィヴェールヌイ海軍を突破した。深夜の奇襲に虚を突かれたトゥルケスタン軍は大混乱に陥り、その隙を狙った連合軍はトゥルケスタン帝国最大の港湾都市兼軍港であるパキスタン省カラチへと急行。その後、ルクレフ大公国や各国義勇軍等によって編成された連合軍揚陸部隊がカラチとシンド州最西部の都市グワーダル(グワダル)にて多くの犠牲者を出しながらも上陸に成功、これを占領した。(カラチ強襲)これによって帝国海軍沿岸防衛隊およびスィヴェールヌイ海軍艦艇が甚大な損害を被り、そしてトゥルケスタン帝国はシンド州西南部の支配を喪失することとなる。 計画 中華連邦共和国率いる連合軍は新疆戦線に於ける膠着に悩まされていた。戦前からトゥルケスタン軍は軍量に任せた大量突撃と機甲師団による電撃戦、要所を抑えた早期決着を見込んだ戦略を執ると中華連邦共和国軍部は想定してはいたものの、予想以上に対中防衛線「ダールル・イスラーム・ライン」の構築が迅速であったことから、甘粛省やシベリア方面からの戦線打開は困難と目されていた。 また、ルクレフ大公国は早期の防衛線構築によってトゥルケスタン軍の侵攻を抑えてはいたものの、ダールル・イスラーム・ラインの構築を暗号化された文書を解読し、内容にトゥルケスタン軍が将来的にルクレグラードへの一点突破を計画していたことを発見した為、軍部内は一時的な混乱に陥った。ルクレフ軍上層部は外務省含む政府に中華連邦共和国との早急な事態打開の為の包括的な会談開催を打診した。 一方の中華連邦共和国は新たな戦線の創出が戦況打開に繋がると考え、ルクレフ大公国からの要求を快諾し、自国内の中心都市上海で首脳会談を開催した(上海継戦会議)。この会議では、戦況打開の方策検討の他、戦後処理、LIATやテュルク人問題、相互の経済支援等が活発に議論された。この結果、中華連邦共和国とルクレフ大公国は合同で軍隊を組織し、カラチを含むトゥルケスタン帝国パキスタン省への強襲揚陸を敢行すると決定した。 実行 連合軍部隊はカラチでは中華連邦陸軍第77歩兵師団(内訳は第771戦車旅団戦闘団、第772歩兵旅団戦闘団、第51騎兵旅団戦闘団)が、グワーダルでは同国軍第91歩兵師団(内訳は第101歩兵旅団戦闘団、第115歩兵旅団戦闘団、第123騎兵旅団戦闘団)がほぼ同時に揚陸を開始した。 トゥルケスタン軍の主力部隊が北方に展開しているとはいえ、軍港兼重要地点として以前から整備されていたカラチの揚陸は凄惨を極め、連合軍部隊総勢30,000名、車両3000両が上陸したものの、湾岸に建設されていた機銃・重砲トーチカからの一斉掃射を真面に受けた為、部隊の半数が戦死・戦傷した。この惨状は死傷率が非常に高かった為、「カラチ・デッドライン」と呼ばれている。しかし、それでも連合揚陸部隊は進軍を続け、洋上の艦隊からの艦砲射撃やミサイル・無誘導ロケット弾攻撃のおかげもあり、揚陸部隊接岸の6月7日午前2時49分から約4時間後の同日午前6時59分にカラチ近郊のサンドスピット・ビーチとマノラの橋頭保構築に成功したとの報告が中華連邦軍上層部に届いた。 グワーダルでもトゥルケスタン軍の抵抗は続いたものの、上陸開始の約2時間後にはグワダル港を含む半島の占領に成功した。 また、この際空母から多数の戦闘機が発艦し、トゥルケスタン空軍の戦闘機編隊とインド洋洋上で交戦状態に入り、東トルキスタン紛争最大の空戦「6月8日の航空戦」が発生した。この戦闘の結果、トゥルケスタン空軍戦闘機15機が撃墜され、連合軍側も中華連邦共和国空軍が6機、ルクレフ空軍が9機撃墜されたが、かろうじてカラチ及びグワダル空域の制空権制圧に成功した。この背景にはトゥルケスタン空軍の初動の遅れ、そして洋上の艦隊や揚陸部隊からの支援攻撃による対空コンプレックスの構築が大きく寄与したとされている。 上陸後 カラチに上陸した連合軍部隊はカラチの包囲、その間に他方面の防衛線構築に勤しんだが、ルクレグラード方面に展開していたトゥルケスタン軍の本隊がカラチから合流し、同地で大激戦が勃発した。(カラチの戦い)両軍は入り乱れ、双方に甚大な被害をもたらしたが、既に多くの部隊や物資が南インドに輸送されており、橋頭保経由で領内に侵入し、結果、連合軍はトゥルケスタン軍の反撃を退けることに成功した。 この時、第77歩兵師団長の陳金春は敵軍の戦意喪失を目論み、迅速なカラチ西方に位置するキーマリ空港への進軍を呼びかけたが、連合軍兵士の疲弊やトゥルケスタン軍の抵抗から大規模な絨毯爆撃・洋上砲撃の後に延期された。 揚陸後の6月8日深夜から6月17日までカラチ・グワーダル両地域への大規模な爆撃・洋上からの砲撃が敢行された。対象の軍事施設やトーチカは勿論、空港や港湾施設、住宅地にまで無差別攻撃は実行され、特に爆撃は1週間半も継続され、そこでは爆弾のみならず、焼夷弾・榴弾、戦闘機による機銃掃射、果ては戦車用の徹甲弾まで用いられたという当時の爆撃機搭乗員の証言もある。この爆撃によって街は火の海と化し、また、燃え上がった炎が建物の間で火災旋風を巻き起こし、これはカラチの市民や兵士に大きな被害をもたらした。この爆撃は高い効果を発揮したものの、あまりの残虐性に世界から非難が殺到し、また同時に不発弾も大量に投下されたことで連合軍の進軍中に建物の残骸に埋没していただろう爆弾が各地でいくつも突発的に爆発し、これにより連合軍も多くの戦死者を出した。(現在でも建設作業中に当時の不発弾が爆発するなど、後世への影響も決して少なくない。) グワーダルでは連合軍は北上、グワーダル国際空港を確保した。この空港は後に連合軍のトゥルケスタン内部侵攻の重要拠点となる。 補給を完了させた連合軍は幹線道路を伝い各方面へと進撃し、揚陸開始から約2週間でパキスタン州南部一帯を占領下に置いた。カラチでは連合軍の包囲を受けても尚も戦闘が続いていたが、兵站が途切れ補給もままならない状態での継戦は困難と考えたトゥルケスタン軍・同国軍港湾警備隊が次々と降伏し、6月25日午前4時32分に第77歩兵師団は連合軍によるカラチ占領を宣言した。 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (カラチ強襲.png) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (カラチ強襲の写真.png) カラチ強襲図 中華連邦共和国軍がカラチ近郊の街にて交戦する様子(当時のプロパガンダより) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (カラチの夜景.jpg) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (空襲後のカラチ.jpg) 戦前のカラチ(開戦直前では帖国の都市として第一位の経済力を誇った) 大規模空襲後のカラチ(インド洋方面を望む) 戦況一転 ルクレフ軍大攻勢とアーブー山の戦い 東部戦線では、カラチの連合軍の攻勢に合わせ、ルクレフ軍がアフマダーバード、南ラージャスターン、そしてトゥルケスタン軍本隊と対峙するの三方面で作戦を開始した。7月10日に補給が完了した第二軍はラージャスターン突破、グジャラートの迂回を開始した。ルクレフ軍はアフマダーバードへの攻撃をかけたが、これはあくまで連合軍の負担を軽減し、加えて今後に行われるであろうグジャラート包囲の為の攻勢をカモフラージュする為の陽動としての役割を負っていた。 しかし一方で、連合軍による出方を警戒していたトゥルケスタン軍は、すぐさまグジャラート州北部にそびえるアーブー山(Mount Abu)に事前にルクレフ軍によって築かれていた要塞・堡塁を整備し、兵力を集中させた。ルクレフ軍にとってもアーブー山は元来ラージャスターン州とグジャラート州の州境の中間に位置する高台と戦略的に有益な立地を誇っており、今回のグジャラート包囲に於いてもトゥルケスタン軍の補給線分断の為の重要な足掛かりとなり得る場所であることに変わりはなかった。(アーブー山はジャイナ教の聖地としても有名である。)双方の思惑が交錯する中、7月13日アーブー山に向けてルクレフ軍東部方面主力第二軍と祖国防衛隊民兵が到達し、14日に当地の防衛にあたっていたトゥルケスタン第1東部方面軍団傘下の第3歩兵連隊との間で戦端が開かれた(第一次アーブー山の戦い)。戦闘は如何に迅速に要塞を攻略できるかにかかっており、敵軍の増員を恐れるルクレフ軍は徹底的な防衛線突破を目論んだ。ルクレフ砲兵部隊は昼夜通して砲撃を行って山岳の補給・連絡線を搔き乱し、また上空からは近接航空支援が行われ、特にその渦中で、ルクレフ軍の戦闘機PD-1ドラグーンから「バンカーバスター」と呼ばれる新型の徹甲弾頭地中貫通爆弾が投下され、山頂にあった要塞諸共粉々に破壊した。 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (mount-abu 2.jpg) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (アブー山要塞爆破.jpg) アーブー山中腹の街(アーブー山はいくつかの高地が複合して形成されている場所で、その中に街が存在している。) バンカーバスターが山頂の堡塁を爆破した際の写真 16日にはルクレフの突破部隊は砲撃後に攻撃を開始。堡塁からの機関銃掃射等で多くの犠牲者を出しつつも、事前に手榴弾や火炎放射器などの装備が整えられていた突破部隊に分があり、16日19時22分にはアブー山南西を占領した。第二次突破攻撃ではマウント・アーブー・ハイウェイの北上に伴い、中腹の街にて大規模な戦闘が発生した。トゥルケスタン軍第3歩兵連隊長サイイド・ヌルディーンは、堡塁に固執し過ぎて各個撃破されることを恐れた為、味方の援軍到着までアーブー山にて持ち応えることを目標に、連隊を何個かの分隊に分散させ、後退と前進を繰り返し、時として相手に前線を占領させつつも相互の火力支援によって敵の攻勢を鈍らせる縦深防御へと戦術を移行した。この戦術が功を奏し、16日以降ルクレフ軍に対し多くの被害を与えることに成功したものの、兵士の間からは(縦深防御の特色である敵に敢えて占領させる戦術を引き合いに)「絶対に守り通さねばならない地点であるにも関わらず、何故敵に占領地を明け渡さねばならないのか」と不満が噴出し、結果サイイド・ヌルディーンは部隊再編と意思共有の為に一時撤退先かつ本拠地であるアーブー山北部のジャイナ教寺院ディルワーラ・テンプルズに部隊を引き上げさせた。しかし、各地の威力偵察部隊の情報提供により、ルクレフ軍はこの防御が手薄となった隙を見計い、19日午前に新たに到着した機甲師団を主体として、街を南北に縦断するピルグリム・ロードから攻撃を仕掛けた。この攻勢は効果覿面(てきめん)で、ルクレフ軍は一挙に街の大部分を占拠することに成功した。勢いそのまま、翌20日にはディルワーラ・テンプルズの包囲を完了し、サイイド・ヌルディーン以下2000人の投降を以てアーブー山の奪還に成功した。 しかし、トゥルケスタン軍はすぐさま反撃を試みた。ルクレフ軍が山一帯を占領した7月20日から7日後の27日、10日後の30日、13日後の8月3日の計三度に渡って、アーブー山奪還の為の反撃を開始した(第二次アーブー山の戦い)。 27日午前11時10分頃、トゥルケスタン軍はアーブー山西部の国道168号線を南下し、山麓の南西ダワリ・ダネラ地区の農村でルクレフ軍の第10歩兵大隊と第100狙撃兵旅団と衝突した。この戦いでは、ルクレフ軍がトゥルケスタン軍の攻勢を予見した途端、すぐさま戦線を張り直して後退、背後の高地を確保し撃ち下ろす戦術を取ったことで、終始防衛側優勢のまま推移し、27日夕方にはトゥルケスタン軍は一時退却した。 30日の攻勢では、トゥルケスタン軍はアーブー山の偽山頂にあたるジャバイ確保を計画し、北部の山麓から進軍を開始した。しかし、この攻撃もルクレフ軍が奪還後に設置した即席の陣地に阻まれ、31日朝にトゥルケスタン軍は撤退した。 2日の攻勢は第二次アーブー山の戦いの内最も苛烈で、トゥルケスタン空軍と同陸軍第12砲兵師団・第1砲兵旅団の一斉攻撃によってアーブー山北西の陣地は甚大な被害を受け、ルクレフ軍は陣地を手放し、ジャバイから2kmの場所にある堡塁陣地にまで後退せざるを得なかった。トゥルケスタン軍はこれを好機として北西方向から進軍を開始したものの、当時季節外れのモンスーン「ウッチャイヒシュラヴァス(サンスクリット語 उच्चैःश्रवस्、長い耳、あるいは大きな嘶きの意。インド神話に登場する7つの頭を持った空飛ぶ馬のこと。)」によって記録的な豪雨が生じており、この結果、アーブー山各地で鉄砲水が発生して実際にトゥルケスタン軍の連隊に直撃して約100名の死者・行方不明者が発生し、また、雨によって濡れた地面が泥濘化して行軍する兵士の体力を奪い、軍用車両のスタックが頻発する等、トゥルケスタン軍歩兵師団は当地の踏破に難航し、士気が大幅に減退していた。一方、インド西岸出身で、環境的な要因を過去の経験から十分に理解していたルクレフ軍の第9歩兵大隊長ラヴィー・ボース(当時の階級は少佐)は、事前にモンスーンによる今後の天気状況を確認し、このモンスーンが長期化すること、また甚大な被害をもたらすであろうことを予期、それを踏まえて30日の攻勢前に大量の発煙筒・発煙弾・フォッグ・オイルを内地から補給した。当日、激しい雨の中でルクレフ軍は、アーブー山の尾根から北西方向に大量の煙幕を迫撃砲・発煙装置から放出した。山颪に乗って斜面を下った煙幕は、激しい降雨による濃霧と相まって非常に濃密な視界不良を起こし、トゥルケスタン軍による敵軍や堡塁の位置特定を困難にさせることに成功した。ここにラヴィー・ボースは航空隊による絨毯爆撃と砲兵隊による一斉射撃を命令し、トゥルケスタン軍に数多くの損害を与えた。この攻撃は8月3日から凡そ5日間も続き、砲撃を受けた北西部一帯が焼け野原と化す程激烈であった。トゥルケスタン軍は被害の甚大さから当地の奪還を諦め、ここに第二次アーブー山の戦いがルクレフ軍の勝利として終結した。 戦闘終結に一役買ったこの攻撃は後に、当時のモンスーンの名前でもあるウッチャイヒシュラヴァスが登場する『マハーバーラタ』のカシュヤパの妻の姉妹の賭博の逸話に准えて、「カドゥルーの尾隠し」と称された。(戦後すぐに、彼はこの戦闘の功績を讃えられ、二階級特進と英雄的な功績を修めた軍関係者に送られる「インドの大騎士団員章」が授与された。) imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ルクレフ軍迫撃砲.jpg) ルクレフ軍迫撃砲「vGw-147」 極東蝦夷共和国のトゥルケスタン側参戦 紛争発生の前年にティムール朝トゥルケスタン帝国との同盟締結を行っていた極東蝦夷共和国は同盟締結の際に当時のトゥルケスタン帝国宰相イブンよりトゥヴァ、アルタイ地域の保護占領について同意を得ており、この時点で東トルキスタン紛争参戦へ向けた工作が進められていた。また中華有事の際は双方の参戦をもって問題を解決することを秘密条約であるアスタナ追加議定書により規定した。事実、三月蜂起の発生によって参戦の口実を得た蝦夷軍はトゥヴァ、アルタイへの進駐を行っており、テュルク民族問題解決委員会を設置し軍政に向けた下準備を進めた。しかしながら、国内の動乱により実質的な参戦は遅れ、5月以降の宣戦布告と派兵を待つことになる。 極東蝦夷のモンゴル侵攻 極東蝦夷共和国の内情 4月15日付けで宣戦を布告していた極東蝦夷共和国であったが、トゥヴァ地域への展開以降大きな動きはなく沈黙を守り続けていた。宣戦布告に至るまで極東蝦夷共和国の実質的最高機関である元老院では「極力中華と剣を交えることなく自国領域の拡大を行うべき」という中華不介入論が唱えられており皇帝礼楽も元老院の意見を支持していた。ティムール朝トゥルケスタン帝国からの参戦要請に際しても元老院は一貫して中華への干渉を拒否し特にも元老院長でもある板垣実高は「もし仮に首相政府が中華との戦争を薦めるのであればそれは内戦をも意味する」として強硬に反対した。そもそも極東蝦夷共和国では憲法上は元老院は名誉職的意味合いが強く実権を伴わず、元老の威光によって成り立つ組織であった。そのため当時の首相である間瀬文雄は「国民の理解が得られている以上、元老にも容赦はせず中華に介入しその膨大な権益を得る。」として元老院の意見を退け首相府主導による政治を断行した。このため国内では反戦派によるデモやクーデター未遂が発生し特にもハバフロスク蜂起では死者が出るなど国内を二分する状況となった。 以上の経緯から蝦夷共和国軍が外モンゴル及び中華に進軍を開始したのは5月の下旬になった。 5月14日、極東蝦夷共和国占領地にトゥヴァ・アルタイ共和国が成立し、同共和国内では大規模な祝賀会が催された。間瀬首相は「トゥルケスタンと我が国の架け橋的存在」「新たなる同胞の誕生を祝福する」として承認。これに対して諸外国は承認を行わず、大多数の歴史家は現在に至るまで蝦夷共和国による実質的な保護国であると位置づけている。 外蒙作戦の展開 5月23日、首相及び元帥府から甘粛省まで伸びていたトゥルケスタン軍に合流することを目的に中華征伐の第一段階である外蒙作戦が指令され共和国第二軍、第三軍は外モンゴルへの侵攻を開始した。当初第二軍はウリヤスタイ、第三軍はカラコルムに向けて進軍することとなっており中蝦の実質的国境であったチョイバルサン・ウルギー線を手前にして中華連邦国境警備隊と会敵し撃破している。(マンダルゴビの戦い)6月上旬には大規模な戦闘なしに中蒙国境付近まで到達し、第二軍の一部は既に新疆を手中に収めていたトゥルケスタン軍と合流している。ここまで中華軍の組織的抵抗もなく、呆気なく外モンゴルを手にした蝦夷軍はこれ以上の増派を行わず、結果として中華領内での緒戦に苦しめられることとなる。 赤→蝦夷軍の進路青→チョイバルサン・ウルギー線 攻勢の陰りと満州侵攻 バヤンノール会戦の勃発 甘粛省にてトゥルケスタン軍と合流した第二軍であったが、一方の第三軍はマンダルゴビの戦い以降単独で戦闘を続けることとなり、蝦夷本土より700kmにも伸びた補給線は限界を迎えつつあった。また、前述のトゥルケスタン帝国側の中華攻勢の停止により内モンゴルに展開する第三軍への圧力は強まった。膠着する戦線の打破をするため、現地軍は一時的に戦略目標をバヤンノール市に定め攻勢を行うことが決定された。 バヤンノール市では北方より蝦夷軍が南下することが事前に知らされ産業の疎開が行われた。7月下旬にはバヤンノール北部へ歩を進め中華軍との本格的な戦闘が始まった。ハンギンへ入った蝦夷軍は中心市街地への攻撃を開始。当初一週間あれば落とせると思われていたバヤンノールでの戦闘は中華側の堅牢な防衛によりこの戦争の趨勢を分けるほどの戦いとなった。幹召廟鎮付近に陣を構えた中華軍はハンギンの蝦夷軍を攻撃。多数の被害を出し、一時西部へ撤退した。 アトラス級はこの戦いから導入された、蝦夷共和国軍の最新鋭戦車である。 満州作戦 極東蝦夷共和国では元来から国内の満州族が祖国の解放を訴えており、トルキスタン戦争で民族解放を謳うトゥルケスタン帝国がまさしく解放者であるとして共和国の参戦を強く支持していた。当時の民選院にて多数の議席を保有していた極東民主党は満州系政党であり、連立与党となっていた統一民族党とともに内閣は戦争に向けた法案の提出を行い参戦を決行した。これに伴う混乱は前述のとおりである。 以上の経緯により、軍事的目的のモンゴル方面だけでなく政治的な目的であった満州方面への派兵も決定され、準備不足によりモンゴル侵攻に遅れること3ヶ月後ついに満州方面での戦闘が始まった。ただ当初より軍部は作戦の成功に懐疑的であり、当時の軍部大臣であったアレクサンドル・ウスチノフは「軍団が固められている満州をせめて何になる。一歩間違えば首都すら落とされかねないのに。」と漏らし、消極的立場であった。 満洲での戦いはバヤンノールでの苦戦を覆すべく8月中旬より開始された。あくまでも陽動としての意味合いが強く戦略目標はハルビン市とされた。極東蝦夷共和国第五軍は越境を開始し、鶏西市を第一目標として中華軍との戦闘に入った。ただしこのとき、北部ルートか南部ルートかで現地軍と司令部との間で揉め、結果牡丹江市を経由する南部ルートが採用された。この南部ルートでは山間部を超える必要があり、また同市での抵抗も予想されたことから軍部は侵攻当初より「ハルビン占領は難しい」との見解を示していた。事実、ハルビン市まで100kmの地点で戦線が膠着し、9月下旬にはむしろ押し返される程であった。 南方からの侵攻に失敗した蝦夷軍は同冬に北方から凍結した松花江を渡河して市内に入る計画を立てた。当初よりの劣勢は増し、牡丹江市にあった陳朱夏率いる第五軍は、中華軍の攻撃を避ける目的で鶏西市へと撤退し大規模攻勢の実施を待った。 このとき、共和国の支配するモンゴル側の領域はおよそ大部分が砂漠であり兵站の輸送と士気の高揚が最大の課題であったが、政治的理由から行われた東側戦闘地域の劣勢は大きな影響を与えたと言われる。 満州継続作戦 11月に入り松花江が凍り渡河が可能になった。これを好機とみた司令部は進軍を指令、およそ半年にも亘る防衛戦から一転して攻勢を開始した。松花江での戦闘は激しく、ハルビン市に到達するまでに一月を要した。ハルビン市では無血での明け渡しが陳朱夏と中華軍との間で協議され1月1日をもって市街地からの完全撤退と指定区域内の戦闘の停止をまとめた陳-金合意書が結ばれた。春節を控えた蝦夷軍にとって、ハルビン占領は戦意高揚に大いに役立つこととなる。同時期、バヤンノールの戦いは蝦夷軍の敗色が濃厚となりつつあり、国内での戦争遂行のプロパガンダとしてはハルビン占領は絶好の材料となった。当時の蝦夷共和国国内向けプロパガンダ紙である満蒙紙は、「我ら同胞の訴えによって開放された哈爾浜は今や共和国法のもとで自由と発展の権利を手に入れた。巴市での戦いは、これら蒙人同胞の帰化に大きく影響を与えるであろう。」と記した。結果的には終戦時までハルビン含めた黒龍江省一帯は蝦夷軍の影響下にあり、このことは講和会議の際に蝦夷共和国の有利に働いた。 この作戦の成功をもとに、蝦夷軍は長城作戦を考案するが、これは今後の劣勢によって実行されることはなかった。 内モンゴルでの敗退 赤が蝦夷軍による占領地域、黄色がトゥルケスタン軍による占領地域を表示している。一見するとモンゴル内での劣勢は分かりづらいが、中華本土へは殆ど侵攻できていない。図示した範囲が蝦夷軍による最大占領地域であり、以後敗走が続く。 バヤンノールでの戦いは中華側の有利な状況で終わり、この責任を取り蝦夷共和国第三軍司令官であったパブロフは更迭、新たにエメリヤン中将がその任を得ることとなった。しかしながら司令官の交代では問題が解決されず、結果的には徐々にモンゴル国境、そして蝦夷国境付近まで押し返される事態となる。内モンゴルでは12月の時点で占領地がほぼ喪失し、西側のトゥルケスタン接地部をのこすのみとなっていたが、比較的優勢で済んでいた満州方面へはモンゴル情勢が有利と伝えられ、以後現地での作戦立案に齟齬が出始めるなど悪循環が生まれていった。紛争開始から1年を迎えた翌年3月、共和国皇帝臨席のもとで元老会議が行われ外モンゴルでの情勢悪化を受け和平についての討議が始まったが、このとき共和国皇帝はヘイシイペへと譲位がなされており、若き皇帝への戦争責任を躱すためにもこの会議では早期和平が望ましいという意見で一致した。主に討議された議題は次のとおりである。 ・和平の条件と、勢力均衡に関する議案 ・中華連邦との諸条約に関する議案 ・戦争終結後の国内状況について この中で、時の外務大臣であった大島忠尚は勢力均衡を担保するために中華連邦との不可侵の宣言を行った上で、その見返りにバイカル以西領有を承認させるという案を持ち出した。大島案とも呼ばれるこの和平案は極東蝦夷のメインプランとして交渉の骨子を担うこととなる。一方、戦争終結後の国内情勢はあまり芳しくないというのが大方の意見であり、革命の防止のために強権体制への転換をすべきという軍部の案が最終的に通された。元来より多様な民族の居住する極東蝦夷共和国は、比較的自由な風土と憲法のもとで発展してきた歴史があり、今回の紛争による一部の満州族による独断専行的な軍事介入は国民感情にそぐわないのではないかと懸念されたためでもある。さらに言えば中華軍の攻撃によって損害を被ったモンゴル人と原因を作った満州人との間で闘争が起こることで内戦に発展する可能性すらあり、国家の分裂を阻止するためにも戦争終結後の秩序について定める必要があったのである。 和平交渉の開始 和平交渉は同年4月より開始された。両国はそもそも国交を有していなかったが、当時OFC加盟国であった十洲連合王国の取次ぎにより非公式での協議が行われることとなり同国函館にて会議が開かれ5月を目処に大筋での合意を目指すこととなった。 極東蝦夷共和国側は満州での優勢を背景に、 ①外モンゴル全土の影響下の承認 ②東満州の譲渡 ③既に獲得したトゥヴァ・アルタイ地域の承認 を要求するが、モンゴルでの疑いようのない劣勢は①と②の条件を拒否させるのに十分であった。ただし蝦夷側もこの条件で合意が得られる可能性はないと見ており、先に仕掛けることで妥協点を見出そうとしていた。 一方で中華連邦は蝦夷側からの賠償金によって疲弊した国内産業を活性化させることを目指し、100億極東ルーブルもの賠償金を要求し、占領地からの完全撤退を迫った。なお、100億極東ルーブルは当時の蝦夷共和国政府予算の3分の2にもあたり、当然蝦夷側は反発した。 双方の主張は平行線をたどるが、そもそも蝦夷側も中華側も戦争の継続には消極的であった。以上のことから、5月頭には蝦夷側が歩み寄りを見せる形で妥結が図られることになる。蝦夷側は外モンゴルの影響下の排除と東満州への野心の放棄を、中華側はその見返りにバイカル以西地域の占有権をそれぞれ認め一応の決着をみた。 中華蝦夷平和条約の締結とその後 5月15日に両国による平和条約の締結が行われた。正式な国交の回復は、極東蝦夷共和国と中華社会主義共和国連邦の国交回復を待つことになるが、非公式ルートでの外交関係がこの時樹立された。蝦夷は調印に先立って、減額された35億極東ルーブルの支払いを済ませ、戦地ハルビンにて条約締結が行われた。 条約の大まかな内容は交渉時から変化はないものの、極東蝦夷共和国と中華連邦共和国との間で不可侵条約が結ばれたほかトゥヴァ共和国編入の承認などが先立って認められることになった。また、35億極東ルーブルの賠償金により中華連邦では産業が活性化し各国から投資が集中、バブルの崩壊を経て革命が起きるなど間接的にではあるが体制の転覆につながった。結果、後継国家の中華社会主義共和国連邦は東の十洲連合王国と東北連邦への影響力の拡大を目指し利尻島砲撃事件などの実力行使をする。極東蝦夷は最大限の警告を発したものの、平和条約にある不可侵の観点から直接的な行動に出ることはなかった。
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